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「伝わるデータ」のつくり方は、3つのコツを理解すれば良い #伝わるデータ

このnoteは、12月5日にYahoo!JAPAN社内のオープンコラボレーションスペース「LODGE」で開催された勉強会「「伝わるデータ」のつくりかた〜Excelだけじゃない! データ可視化の手法と威力を知る」にて発表したスライドを文字に起こした内容です。

また当時の実況はtogetterにまとめていただきました。中継して頂いた皆様、誠にありがとうございます。

「ビッグデータ」「データサイエンス」という言葉が広まった現在、データ可視化の重要性は増してきています。相手にどのように伝えるか? 理解して貰うか? それは大切な仕事の1つです。

今回の勉強会ではデータビジュアライズの魅力と威力、どこから手をつけていけばよいかなど、私と五十嵐さんとでお話をさせていただきました。

なんで松本がそんな話ができるのか? 実は私の実質的な処女作がグラフ本だからです。調査だけで1年もかかった名著だと自負しております。

企業・組織における人材開発・組織開発で広く知られる、立教大学の中原淳先生も薦めて頂いたので、間違いはない本だと私は思っております。(自画自賛)

※ちなみに、勉強会は参加費用が1000円かかりましたので、このnoteではお手数ですが300円の有償とさせて頂きました。予めご了承ください。


そもそも「伝わる」って何だろうか?

最初に"「伝わるデータ」のつくり方"というお題を頂いて、そもそも伝わるって何だろう?と考えました。

答えを求めたのは、ドラッガーの書籍です。「マネジメント」に以下のような一文があります。

 仏教の禅僧、イスラム教のスーフィー教徒、タルムードのラビの公案に、「無人の山中で木が倒れたとき音はするか」との問いがある。今日われわれは、答えが「否」であることを知っている。音波は発生する。だが音を感じる者がいなければ、音はしない。音波は知覚されることによって音となる。ここにいう音波の知覚こそコミュニケーションである。
 この答えは新しくはない。神秘家たちも知っていた。「誰も聞かなければ音はない」と答えていた。しかしこの昔からの答えが、今日重要な意味をもつ。
 コミュニケーションを成立させるのは受け手である。コミュニケーションの内容を発する者ではない。彼は発するだけである。聞く者がいなければ、コミュニケーションは成立しない。音波しかない。コミュニケーションを発する者は、話し、書き、歌う。しかしコミュニケーションはしない。できない。コミュニケーションの発し手は、受け手が知覚することができるようにする、あるいは、できないようにすることができるだけである。

誰も聞かなければ音はない。この一文は、コミュニケーションの真髄だと考えています。

どんな内容であれ知覚するのは受け手であり、私はただ発信するしかありません。私がどんだけ良いnoteを書いたとしても、読んで欲しい人たちに届かなければ「無い」も同然です。

受け手が知覚しなければ、コミュニケーションは成立しません。私が相手と話すだけではコミュニケーションしたとは言えません。相手が知覚し、意味を理解し、また相手も発信者となってこそコミュニケーションと言えます。

図1

つまり「自分の言いたい内容を言う」が伝えるではありません。まして自分の言いたい内容を分かりやすく伝えるためにデータを用いたり、グラフを使ったりしても意味はありません。

受け手が知覚できるためにデータを用いるのであり、グラフを使うのです。


「伝わるデータ」とは何か?

あるデータを伝えるのに、もっとも適した手段は何でしょうか?

言葉、映像、写真、絵…さまざま考えられます。これらは、意図して改ざんしない限りは、起きた物事をありのままに伝えてくれる便利な手段です。

「ここ150年間の世界の平均気温の推移はどう変化しているのか、データで端的に示してよ」と問われたとします。

言葉で説明するのは時間がかかりそうですし、映像だとインタラクティブなインフォグラフィックが浮かびますが、直ぐには作れそうにありません。もっとも適したと言えるでしょうか。

絵…つまりグラフだとどうでしょう。

図2

【引用元】世界の年平均気温(陸上のみ)
https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/temp/land/land_an_wld.html

世界の平均気温(陸上のみ:陸域における地表付近の気温のみ)の基準値(1981〜2010年の30年平均値)からの偏差を表すこの折れ線グラフは、長期的に見て1970年代後半から上昇傾向にあると一目で分かります。

棒グラフや折れ線グラフ、円グラフ、散布図など様々な種類がありますが、グラフはまさに「データを手っ取り早く手短に伝える」ために生み出された手段だと言えるでしょう。

棒グラフ、折れ線グラフ、円グラフを開発した「グラフの父」であるウィリアム・プレイフェアは「The Commercial and Political Atlas」の巻頭に、次にようなコメントを掲載しています。

as much information may be obtained in five minutes as would require whole days to imprint on the memory, in a lasting manner, by a table of figures
表なら1日かかってしまうのと同じ情報の量を、5分で得られるようにする

つまりグラフとは、情報量はそのままに、視覚で表現された量を大きく減らした手段だと言えます。1日かかって理解できた表をグラフ化しても、同じように1日かかっていたのだとしたら、全く意味がありません。

身も蓋もない発言ですが、グラフにしても視覚表現量が変わらないなら、別にグラフにする必要はありません。表でいいじゃん、という話です。

これがグラフを用いる理由です。

図4

伝えたい内容に応じて視覚表現量を減らせるからこそ、グラフには色んな種類があります。もし分かりやすく伝えるためだけであれば、種類は1つか2つで十分ですよね。

以下のグラフを見比べて下さい。どちらのグラフも同じデータを元に、棒グラフと折れ線グラフ、表現形態を分けています。

図5

皆さんであれば、何を問われれば棒グラフを選び、何を問われれば折れ線グラフを選びますか?

例えば、今年もっとも売上が良い月と悪い月の情報を見せてと言われれば、私なら棒グラフを選びます。

棒グラフが一番得意な表現方法は「比較」です。棒の高さを比較して、違いを感覚的に掴めるのが特徴です。「良い月」を基準に、他の月を比較できるのは棒グラフです。

例えば、月の売上ってどれくらいデコボコしてるのか情報を見せてと言われれば折れ線グラフを選びます。

折れ線グラフが一番得意な…

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