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自分軸の覚書

ここ数年頻繁に「自分軸」という言葉を耳にしたり目にしたりするものの、それがどうにもピンと来ていなかった。軸はいつだって自分にあるし、何かを選ぶときはいつだって自分で選んできた。そういうことではないのか?と思っていたけれど、ここ最近なんとなく「自分軸」という言葉を自分の中で落としこめつつある気がするので、それを記録しておきたいと思う。

私が信頼している占い師のほともこさんに、「あなたにとって、組織、人、従属することが人生で重きを置かれている。自分をころして受け入れることが当たり前にできる。故に、個人を超越したものも手に入れられるけれど、同時に精神的にも肉体的にも拘束されやすい」と説明された。これは一度ならず数年開けて二度も言われたことだ。言語化されたことによって、確かに、と思い当たる節が大いにあった。
学生の頃は尊敬する先生に付き従いたかったし、「尊敬する人の部下になって道具としてうまく使われたい」と公言していた。会社員になってからは、これは若さや自分自身のせいも大いにあるが、膨大な仕事を些事から大事まで抱え込んで心身を摩耗してしまった。
人の役に立つことが好きだし、少しだけ先読みをして気を利かせたり、誰かの負担を少しでも軽くできるならそれをしたいと自然と思う。場合によっては、それは損な役回り、性質だなと感じるときもある。

そういう私の性質を見た上で、ほともこさんはこう続けた。

「だから、所属先を分散した方がいいです。ひとつだけにコミットするのではなく、複数にコミットして、そのどれともちょうどいいバランスを取るようにしてみてください。」

この話をしたとき、私は仕事面でのことでしか考えていなかった。いわゆるフリーランスとして、色んな人や企業とやり取りをする方が向いているようだ。実際、今は在宅ワーカーでタスク型で働いていて、それがあっているなと感じているし。といった具合に。

ただ、最近はこの「所属先」に、「家庭」が含まれている気がしてきている。収入という意味での労働所属を言えば契約先や企業となるが、もっと大きく自分をとらえれば、「母」や「妻」というのも「家族」という名の所属先における役割のひとつだ。
そう感じるようになったのは、最近家族を腹立たしく思ったり、息苦しく思うことが多いからだ。夫も息子も、それぞれに一生懸命働いたり保育園に行ったりしている。それは重々理解しているし、彼らのことは応援したいしサポートもしたいと思っている。
が、実際問題、彼らによって私の行動は大きく制限されている。彼らの予定がまず最初にあって、それから私の予定をお伺いを立ててから入れるのだ。息子をひとりにはできないので、夫が休日出勤すれば私は息子ありきの行動プランしか立てられない。外出についてもそうだし、家の中の活動もそうだ。そういうことは、「子どもがいたら当たり前」のことのひとつだと思う。けれど、やっぱり納得しきれない部分でもある。

それから、最近よくあるのは、家族三人で出かけたときなど夫と息子のバランサーになるときがあって、それに猛烈に疲れる。父子が行き違いになったとき息子側に立って調整役を買って出ると、そこに子が乗り合わせてくることが俄然増えた。
例えば、早く帰りたくてイライラする父に「わたしが連れて帰るから先に帰っていいよ、雨が降ればタクシーだってあるんだし」と言えば、「ぼく今日お母さんと二人で帰りたい」「タクシー乗ろうよ~(ごねる)」と言った風に。
知恵がついて賢くなってきたと思えば微笑ましいが、できればやりたくない調整役をやった結果、うまいように使われると本当に腹が立つ。息子の発達の特性とその対処を私の方が夫よりも理解していると思うからこそ息子の側に立ったのに、それに胡坐をかいたうえ調子に乗られると、ほんとうにもう、猛烈に腹が立つのだ。

それで最近、はたと気付いたのだ。
これ、前述の「組織、人、従属することが人生で重きを置かれている。自分をころして受け入れることが当たり前にできる。故に、個人を超越したものも手に入れられるけれど、同時に精神的にも肉体的にも拘束されやすい」そのものではないか。家庭という組織の中で、当たり前に母親として息子のために動いているけれど、その結果精神的にも肉体的にも拘束されている。

なので、最近は家庭も仕事も同じくくりで見て、所属先を増やしたいと思っている。その軸こそが、「自分」なのではないか。家庭=自分と言ってもいいほどに、これまでは家庭が軸足だった。どこかへ行く、何かを買う、どれもが家族という集団を前提に考えていたと思う。
それは当然のことではあるのだけれど、私にとっては家族というのもコミットしすぎるとうまくサイクルしない。事実、イライラするし、私がイライラすると家庭全体がギスギスする。だから、家族もコミットする場所のひとつとしてとらえたいと思っている。
これまでは「このケーキ買いに行ったら家族が喜ぶかな」だったけれど、これからは「自分が食べたいからケーキを買うついでに、家族にも買って帰ろう」という考え方にシフトしていきたい。
(勿論、家庭を放棄するという意味ではなくて、心構えの問題であることを念のため記しておく。)

自分を軸にしたときに、じゃあ一体なにをしたいのか。
今は、何か今もっていないチャンネルのつながりを増やしたいなと思っている。それが仕事なのか、友達なのか、趣味なのかわからないし、どうやって増やせばいいのかもわからないけれど、植物の根がたくさん広く伸びるように、私の根を広げて色んな所から栄養を得たいなと思う。
なんとなくやりたいのは、翻訳の幅を増やしたり、誰かと話したり、何かを計画して創り上げたり。そういうことがやりたいなと考えている。

最後に、最近の色々について考える道筋を示してくれたほともこさんをご紹介しておきたい。占星術を中心とされていて、タロットも使われるし、その他講座なども開催されている。非常に知的で理性的で、落ち着いてお話くださるので理解しやすい。とんでもない情報量を解説して頂けるし、丁寧にお話を聞いていただける安心感もある。
占いを受けてみたいな、と思う人がいたら、是非一度noteやブログを読むだけでもアクセスしてみては如何かとおもう。

※本記事作成に際し、セッション内容の掲載許可をほともこさんよりいただいております。

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