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ユア ライフ チェンジス エブリシング!

好きな曲がある。

胸を締め付けられるような切ないラブソングでもなければ、明るい応援ソングでもない。最近流行りの曲でもないし、昔流行った曲でもない。
意味も取れないような歌詞で、歌い方の癖も強くて。美少女キャラクターのカワイイセリフも入っている。
しかし私はその曲が好きで、間違いなくあの時の私はその曲に救われていた。

学生時代、毎日不安に苛まれていた時期がある。
友人と顔を合わせられなくなって、いつも被っていた「私」のペルソナを保てなくなっていた。
毎日学校に行くのがしんどくて、誰にも相談できなくて。
誰からも見下されているような気持ちになって、上手に人と話せなくなって、休み時間は寝たふりをして机に伏せていた。
私にはたくさん友達がいたけど、人が集まるようなタイプではなかったので1人の時間は簡単に作れた。それが私を苛む孤独感を加速させたのだろうと、今になると思う。
誰も心配してくれなかった、なんて言うのは拗らせた承認欲求からくるわがままなのだろうけど、心配されるどころか、誰にも気にされていなかったのだろう。
自分は友人に愛されている、と思っていたのはおそらく思い上がりだった。
「私が」友人を愛しているから、それを受け止め、返してくれているに過ぎないのだと思う。友情とは、等価交換の契約である。
受験は人を狂わせる。私は、簡単におかしくなってしまった。
それは、高三の冬のことだった。

いつも帰りのHRが終わったら友人たちとダラダラ話しながら下校していたのに、どうにも耐えられなくて、学校から逃げ出すように走った。
まだ生徒で賑わう前の、静かな学校の最寄り駅で、音漏れしそうな位に音量を上げたイヤホンで好きな曲を聴いていた。
ノイズキャンセリング機能は、電車の過ぎ去る音も、生徒の話し声も、笑い声も、全てを遮って私を守ってくれていた。
楽しい音楽も、暗い音楽も、当時の私にはノイズでしかなかった。
あんなに大好きだったゴールデンボンバーのユーモアも受け付けなくなって、あんなにも愛したボーカロイドの歌声も、推しだったイケメン歌い手の声も、響かなくなってしまった。
そんな時に出会ったアーティストが、大槻ケンヂ。その人である。

眠れない夜に聴いていたVtuberのカラオケ配信で、大槻ケンヂ縛りのものがあった。
ふと再生したそのアーカイブで、オーケンに出会ったのだ。
最初に流れたのは「マタンゴ」。キノコに寄生される?ど、どういうこと?なんだこの曲。意味がわからない。と思っていた。けれどなんだか気になって、眠れるまで聴いてみようと再生を続けた。
次に流れた曲は「人として軸がぶれている」。「さよなら絶望先生」というアニメの主題歌らしい。私は震えた。惹きこまれた。私はこの人の曲をもっとたくさん聞くべきだと思った。

それから1時間、とうとう眠気が来ることなくその配信を聴き終えた。
「ヨギナクサレ」で打ち震え、「戦え!何を?人生を!」で泣いた。
その時の、どうしようもないぐちゃぐちゃの感情は色褪せたけども今も記憶に焼き付いている。
配信をしていたVtuberは、「まだ自分が何者でもなかった頃、打ち震えて膝を抱えて聴いていた」というようなことを語っていた。
かくいう私も、いつの間にか布団の中で膝を抱え、拳を握りしめながら聴いていた。

私に必要だったのは、自分を絶望から救うのではなく、絶望の中で奮い立たせる曲だったのだと思う。その日から大槻ケンヂを聴きあさり、私は好きな曲に出会うことになる。
満員電車の中で、おじさんの背中と背中に挟まれながら聴いていた曲は、私の血となり、肉となり、武器と盾になっている。
私にはこの曲がある。そう言える曲を、私は三つ持っている。そのうちの一つがオーケンの曲だ。私の弱さを、孤独を、絶望を、励ますことなくただ認め、受け止めてくれる。そして奮い立たせるのだ。バイクのエンジンをふかすように、嘘みたいに強がって。

音楽は、人を強くする。
音楽には、人を救う力がある。

意味もなく息苦しい時に、呼吸の仕方を教えてくれるのも、酸素をくれたのも、音楽だった。居場所をくれたのだって。
趣味がたくさんあって、音楽は特に趣味でもなかった私でもそうだった。

合言葉は、林檎もぎれビーム!