見出し画像

まいです、ごきげんよう❀


こちらのブログの中で「私の父は“満員電車は魂のぶつかり合いだ”と言っている」という記事を見かけました。すごい。


私はその「魂のぶつかり合い」にあっさり負けるタイプなので、満員電車は耐えられません。満員電車で酸欠になり人生で初めて走馬灯を見た日から、電車は座っていないと不安になるようになりました。そのため今は、一限のある日のみ定期券外ですが空いている路線で行っています。そういえば先程ちらっと出た走馬灯の話ですが、それは、これまでの経験の中から生き残る術を探す本能なのだと何処かで聞いたことがありますが、これはどうやら本当です。私が電車で気絶しかけたときも、(小学校のマラソンの後に倒れた時はどうやって死なずに済んだんだっけ…)というようにこれまでの「具合悪くなったけど生き残った経験」が次々と脳裏に浮かびました。


みなさんも降りれない電車内で具合が悪くなった時は、勇気をだして言ってみましょう、「誰か席を変わってください」と。先日はそれでなんとか乗り切れました。絶対変わってくれる人がいます。


*****


前述の通り、いつもと違う電車に乗ると聞き馴染みのない駅名が耳に残ります。なんでこういう名前になったんだろう。どういう意味だろう。駅名、地名、その何気ない疑問から物語を立ち上げてみるとおもしろいものです。


ということで、どうぞ、「水射る青年」。


 左腕を地面と平行になるように真っ直ぐと持ち上げ、肩甲骨の高さが一直線になるように反対の腕も持ち上げる。首を伸ばし胸を開くように力一杯腕を引くと反発しようとする力がギリギリと二の腕の筋に響いてく。その力が限界まできた瞬間手を開く。ヒュッと鋭い音を立てた矢が冷えた空気を切り裂くように飛んでいく。


 走る男の足の裏から土煙が立っては風に散らされていく。かき分けたススキの中に黄金がかった緑色の物体が艶としている。

よし、と口内でつぶやく。矢を引き抜くと、男は雉の脚をちょうど爪同士が当たるようにして握り持ち上げた。そのまま歩こうとすると皮の伸びきった首がぶらぶらと揺れ嘴がふくらはぎを薄く引っ掻くので、やはり両手で抱えることにする。でかい男の汗ばんだ胸に首をもたげてる雉のそれは、まるで人間の赤子のようだった。

帰路の途中、男は妙なものを見た。土手に誰かがしゃがんでいる。その誰かは足元にあった弓を手にするとすくと立ち上がり、突然水面に向かって矢を放った。魚を捕る仕草ではない。奇妙なやつだと思いながら男はその場を後にした。


 家に戻ると、男は思わずため息をついた。乾いた泥がこびりついた床、根がちぎれて無惨に転がる植物の遺体。ちょうど一ヶ月ほど前にこの村を襲った暴風雨による被害跡である。この村には年に一度か二度、暴風雨が訪れる。そして必ず近くの川が氾濫し村人の生活は泥まみれになる。土地を離れさえすればいいと去っていく者もいるが、生まれ故郷を捨てるということは、この家を離れるということは、実際は簡単なことではない。

 本来ならあるはずの戸は下の方が腐って外れたため、この家は吹き抜け状態である。捕ってきた雉をどさっと前へ投げ置くと、男はしばらく眠りについた。


 何日かすぎて、男はまた狩りに出かけた。ここ最近にしては暖かいからか、人通りが比較的多い。すると見知らぬ子どもが3人、おじさーん!と黄色い声で叫びながら男のもとへかけてきた。

「おじさん弓もってる。もしかしてあのオトコのこと知ってる?」

「あの男って誰だ」

「ほら!あのひとだよ!」

子どもが一斉に指さした先はいつもの土手だった。よく見るとそこに一人の青年がいる。先日の雉狩りの帰りに、男が見かけた「誰か」であった。

「知らないなあ。でもどうしてそんなことを聞くんだい」

「だってあいつヘンなんだよー」

「いつも水に映る自分に向かって矢を放つんだっ」

「自分のことをテキだと思ってるんだよねきっと!」

子どもたちは自分たちの言ったことになぜか大笑いをしながら、じゃあねーと走って行った。男はその青年が水に向かって弓を引く真剣な眼差しを見た。あの目を知っている。あれは狩人の目だ。あいつはふざけたやつなんかじゃない。


 それから男は毎日あの土手を見に行った。見に行けば必ずあの青年がいる。そしていつも、真剣な目で水面を睨んでいる。

そうして一年近く経ったある日、その青年は突然姿をあらわさなくなった。朝見ても夜見てもその姿はどこにもない。それが数日続けば男もすっかりその青年のことなど忘れてしまった。それより、間近にせまるあの暴風雨の到来に怯えていた。

 だがどうだろう。今年の暴風雨はいたって軽く、川の氾濫はおろか、少しの濁りさえなかった。次の年も、その次の年も、あの恐怖は訪れない。村は少しづつ、発展していった。


 村が以前より大きくなりにぎやかになると、村に新たに名前をつけようということになった。話し合いの場に男は弓を片手に立ち寄った。いくつもの声がいくつもの案を投げる。その時、ある老人のつぶやきが男の眼を覚まさせた。

「この村がこのように発展したのは、繰り返されていた災害がなくなったからだ。あの川にいた疫病神を、誰かが射抜いたのだろうねえ。」

男の脳裏にあの青年の横顔が浮かぶ。


——よって、この村の名はいみず、射るに水と書いて射水とする。


富山県射水市