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安倍元首相銃撃事件について 元宗教二世の駄文

2022年7月8日、安倍元首相の銃撃事件が起きた。
最近ニュースやSNSで縦横無尽に飛び交うヘイトや正義ポルノにすっかり憔悴しきってしまい、あまりスマホを見ないようにしていたが、今回は「元宗教二世が起こした事件」ということで、他人事ではない気がして色々と記事を読み漁っている。真相はまだ曖昧な部分も多いが、現時点での自分の考えの整理のためにも書こうと思う。


山上徹也容疑者の動機は「旧統一教会への恨み」だという。わたしと同じ元宗教二世だ。
わたしは元エホバの証人なので統一教会のことは一般知識しかないが、ニュースを見る限り山上容疑者の母は自己破産するまで寄付を続けていたらしい。その総額は一億円にものぼる。父と兄は自殺。本人は保険金を兄妹の生活費に当てるつもりで自殺未遂。しかしそれでも母は棄教することはなかった。山上容疑者が統一教会を恨むのも当然だと思う。
旧統一教会・現世界平和統一家庭連合の記者会見で寄付の強要はないと言っていたが、現信者たちの声では未だに存在しているとのこと。実際に去年の被害総額も3億円以上だという。統一教会系列の異常さは割愛するが、少し検索するだけでその狂った実態が出てくる。(因みにAmazonプライムにある「カルト集団と過激な信仰」の第5話「世界平和統一聖殿」がおすすめ。統一教会分派の銃を賛美するカルト集団のドキュメンタリー。)

わたしの家では寄付の額は生活を困窮させるまではいかなかったし、身内に宗教関係での自殺者はいない。結婚をするなら宗教内でと推薦されていたが、集会を開いていた地区では見たことがない。(二世は来なくなる人が多かったからか、子供だったから知らなかっただけかもしれない)なので山上容疑者の苦しみは想像に余りある。しかし彼の持つ閉塞感や虚無感、追い詰められてこの事件を起こしてしまった気持ちはわかる気がしている。

母を憎み、その元凶である統一教会を憎み、その過酷な環境を耐え抜いて社会に出た。母を許すよう努力し、人生をやり直そうと思った。しかし社会に出てみると日本の絶対的な権力と権力者は統一教会と繋がっており、その権力者の祖父は統一教会の普及に一役買っているという。これからずっと自分を苦しめた宗教の下で生きていくしかないのだ。まさに絶望としか言いようがない。
安倍元首相がどこまで統一教会と繋がっていたのかはわからない。仮に政治利用のみで、本当にその宗教の恐ろしさを知らなかっただけ(全国霊感商法対策弁護士連絡会の記者会見より)だとしても一国の舵をとる代表が、知らなかったで済まされる問題ではない。

もちろん上記はただのわたしの推察なのだが、もし安倍元首相がエホバの証人と繋がりがあったら…そう思うと屈辱的だ。安倍元首相を殺す価値がわたしにも見えてくる気がする。
わたしはひっそりとここで体験漫画を描いているわけだが、山上容疑者にそんな心の余裕があるわけがない。死なばもろとも。彼の無理心中は宗教二世にとって空前の叫びとなった。


宗教観の薄い日本にとって宗教二世は「変わった家で育った変わった子供」だ。ケースも様々で、法に触れない限り表面化して取り沙汰されることは少ない。しかし水面下では肉体的・精神的暴力を受けている子供たちは多く、SNSを見れば元二世たちの悲痛な叫びで溢れている。現にわたしもこの漫画を始める前から、そして始めてからは更に多くの意見を目にしてきた。
このままでは今後、第二、第三の山上容疑者が出てくる可能性は大いにありうる。

昔、尊敬する方に言われた言葉がある。映画好きのわたしといつも映画談義をしてくれた方だ。
「君は映画がなかったら人を殺していたかもしれないからね」
確かに親を殺したいくらい憎んだ時期はあった。しかしそれはすぐに希死念慮に変わり、親と離れて一人暮らしを始めてからその考えは強くなっていった。実際に自殺未遂をしたのはその言葉を言われた数年前だった。OD状態で首を吊ったのだが、痛いし怖いしで何度も繰り返しているうちに眠ってしまい、結局失敗に終わった。次の朝にルームシェアをしていた人が偶然部屋に来て、ロープを片付けてくれた姿が忘れられない。
その後も度々挑戦したがいつも失敗した。その「死んだほうがいい」という感情はここ数年でだいぶ減ったのだが、今でもふと気づいた時に頭の中に浮かぶことがある。
(これは勝手な自己診断だが、希死念慮の原因のひとつは、「自分は宗教をやめたことで、滅ぼされる側の人間になってしまった」という漠然とした恐怖だと推測している。頭では「滅ぼされることなどない」と分かっていても、幼少期からの染み付いた価値観はなかなか払拭できず、自分への諦めや失望へと繋がり、自己肯定感が低くなってしまう。これは他の元二世の意見でも見られ、カルト宗教教育の大きな弊害だとわたしは思っている。)

それでもわたしがこうしてひょうひょうと日々を生きられているのは、映画や音楽がわたしと社会を繋ぐ助けになってくれ、また創作の場として寛大に受け入れてくれたからだ。
宗教に一番悩んでいた中学生・高校生時代は、親にDVDを割られても隠れて映画館に通ったし、ROCKを聞くなと言われても集会を休んでギターを弾いた。今ではそれをネタに四コマ漫画を描いているし、映画や音楽制作は負の感情が結果的に”生”に繋がる大切な時間となっている。


カルト宗教は無くならないし、それを盲信する人たちもまだまだ生まれ続けるだろう。山上容疑者の母が息子の事件を知ってもなお統一教会を擁護している姿を見ると、カルト信仰の「無敵さ」に絶望する。
無理に生きて苦しみに耐え続ける必要はないと思う。しかしもし目の前に死を考えている二世・元二世がいたらこの言葉を伝えたいと思っている。あるドキュメンタリーで、狂信的ユタ信仰の父との離婚後、落ち着いた生活を取り戻した母が子供の前で言った言葉だ。
「幸せな今は過去を捏造する」
もし死に迷いや恐怖心が生じたら、破滅的でも今日を幸せにしてみるのもいいと思う。明日のことなど考えず、今日自分が一番したいことをして、微塵でも幸せを感じたらそれでいい。家出でもいいし、学校や会社をサボってもいい。過食してもいいし散財してもいい。後で後悔することも多いが大抵のことはなんとかなる。その毎日の繰り返しによって、自分が囚われている環境や過去が霞めばそれでいいし、そこに大事なことが見つかるかもしれない。そうすれば儲け物である。その大事なことは、きっと過去を「昇華」させてくれるはずだ。
無責任かもしれないが、一つの選択肢としてわたしの今思うことだ。

7月24日、山上容疑者の精神鑑定が決まったという。
今回の事件でこの国と人々の意識がどう変わるかはわからないが、元宗教二世による元首相への銃撃という賽が投げられてしまった以上、少しでも多くの人がこの問題に目を向け、カルト宗教の知識や危険性、そして何よりそこに子供が関与させられているという事実を社会問題としてより深刻に認知されるきっかけになることを願っている。

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