なぞのみりん
みりん、とは何ものぞ?
耳にはしたことはもちろんある。
調味料の一種だとはぼんやりわかってはいるけれど、どういうものかさっぱりわからない。
塩はしょっぱい。
砂糖は甘い。
こしょうは辛い。
酢は酸っぱい。
しょうゆは、なににかけてもよろしい。
で、
みりんとはなんぞ?
インスタントラーメンぐらいしかつくれない私は、食事を自分で作る修行をはじめた。
料理をはじめたことには理由がある。
必ず来るであろう首都圏の大地震を想定したのである。災害時用の非常食を用意するにしても、何と何を組み合わせたら何になる、ということがわからない。食材が手に入った時、手持ちの材料でなにが作れるのか想像もつかない。
これではすぐに餓死すると思ったのである。
料理本やネットで、ちょーお手軽なレシピを探して手順通りに真似はじめた。そこに始終出てくる、なぞの調味料が、みりんである。
で、買ってきた。
匂いを嗅いでみる。アルコールが酢になったような。
舐めてみる。ピリッとした甘い、気の抜けた酒のような。
いったい、これはなんぞ?
先日、生まれて初めて「豚肉の生姜焼き」を作ってみた。
豚肉をフライパンで焼く。
さらにスライスした玉ねぎを加えて一緒に炒める。半玉でいいらしいのだが、玉ねぎは好きなので1玉いれた。それをしんなりするまで炒める。
ここからハードルが上がる。
「塩コショウを少々」
少々ってどのくらいだ?
タレは、
「しょうゆ、酒、みりんを1:1:1」
自炊料理初使用「みりん」を投入である。
計量カップがなく全体量を量ることができなかったので、ちょっと緊張した。
というか、「酒」も謎だ。
なんで、酒をいれるんだ? わからぬ。
料理酒というものがあるらしいが、手元になかったのでときおり呑む清酒をいれた。
ともあれ、さらに煮詰めて、ついに初の豚肉の生姜焼きは完成した。
ところが、できあがった生姜焼きは、どうもイメージとは違った。
どうみても吉野家の豚丼の具のようである。
で、たべてみると、やっぱり豚丼だったので驚いた。
どうしてこうなるのか。食べながら、はじめて気がついた。
生姜を入れ忘れていたのである。
これでは「豚肉の生姜焼き」ではなく、ただの「豚肉の焼き」ではないか。
悔しかったので、翌日もリベンジをした。
今度ばかりは忘れずに生姜を投入した。
できあがりの見た目は相変わらず「豚丼」だったが、たしかに生姜焼きの味がした。が、ここでも食べながら、ひとつ忘れていた事に気がついた。
みりんを入れ忘れていたのである。
酒ばかりに気を取られ、みりんではなく水を入れていたのである。
しかし、ここからが謎である。
前に作ったものと生姜の味を引き算すれば、たいして味が変わらなかったのである。
みりんとはいったいなんなのか、ますますわからなくなった。
私はみりんの迷宮に入り込んでいるのである。
最近やっと気がついたのだが、私は
料理途中、いっさい味見をしていなかった。
すべて出来上がったのちに、はじめて口にしていたのである。
なぞの調味料はみりんだけではない。
料理本を見ると、初めて聞くようなカタカナの調味料が書いてある。
そのうえどれも「少々」だの、「小さじ1」だの、きわめてアバウトな量である。小さじってなんだ?
しかし、考えようによっては、もし災害が襲い食べるものに困っているときには調味料もなければ、手元には計量スプーンもないはずである。
あるものをどうやって食べるか、手にある調味料だけで、どう料理をするかを身につけねばならぬ。
修行中の身なれば、途中、味見をするなど不届き千万。
出来上がって、はじめて口に入れねば負けである。
と、思うことにして。
今日も一気呵成に豚肉の生姜焼きを作ってやるさ。
ただひとつ、自分で料理をするようになってわかったことがある。
人様の作ってくれた料理は、すべて美味しい。
これ、真理ですね。
(2016年10月22日記)
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