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ぼくはネコは飼ってなんぞいません・後編

 「にゃあ」

 と呼ばれて飛び出て、ハタと気づいた。
 そうか、外に出していたエサ皿は、母親<1時>だけが食べていたわけではなかったのか。鬼と化した母親とダブらないように、子どもは時間をずらしたわけだ。
 やるではないか。

 ためしにエサ皿を外ではなく、玄関の内側に置いてみた。
 彼女は警戒し眺めていたが、腹が減ってどうしようもないのか、なかに入ってきた。ぼくが目の前で見ているにもかかわらず、しっかり食べ終えると、逃げるように去っていった。
 彼女は夜8時にやってきたので、
 <8時(暫定)>
 と呼ぶことにした。
 やってきた時間で呼称するのは、簡単でいいですよ。

<8時(暫定)・♀>


 そのあとの休日、夕方6時ごろ。
 なにげに開けたドアの向こう側にまた一匹のネコがいた。
 <1時>でも<8時>でもない。淡い灰白のひとまわり小さなネコ。ただひとことも声を上げない。

 「3匹のうち、うすい灰色の子が一番可愛いのよー」

 となりのおばあ記者の話を思い出した。

 「べっぴんさん。飼うならあの子よ」

 おばあ記者はなんども美人がいい、美人じゃなきゃダメだと繰り返した。
 女性は女性に厳しい、というのは本当だったのか。ネコが相手であっても容赦がない。
 女性はこわい。
 ネコにも性格があるということを、<6時>ではじめて知った。
 コイツは見られることが嫌いらしい。
 皿のそばに寄ってきても、見ているとぜったいに食べない。玄関のドアを閉めると、カリカリと食べる音がし始める。まあ、好きにしろ。

<6時(暫定)・♀>


 <8時>と<6時>は、連れだってやってくるようになった。そして姉妹はついに一番下の弟を連れてきたのである。
 夜9時。
 外から声がしたのでドアを開けたら、<8時>と<6時>がいた。
 ぼくがエサ皿に食事をいれようとした時だ。ドアの陰から茶白のネコが現れた。
 (三匹目のオスがこいつか——)
 と思った瞬間、ぼくは驚いた。
 茶白ネコは、はっきりと、

 「ねーちゃん、ここ? この家? ご飯くれんの? マジ?」

 間違いなくそう言った。
 ホントよ、ホント。
 そいつは目をクリクリさせ、ぼくを見て、

「どもども、ねーちゃんに教えてもらって来ました」

 そして、あ然とするぼくを尻目に、初対面であるにもかかわらず、<9時(暫定)>は部屋の中に上がってきたのである。

 つられるように<8時>さえも、はじめて部屋の中に入り込んできた。
 なぜ、<9時>のいっていることがわかったのか、ぼく自身ふしぎでならなかった。思い当たる理由はひとつしかなかった。
 オスだった、からだ。
 つまり、<9時>とぼくは男同士だったに違いない。
 でしょ?

 「ネコは他にも何匹かいるのよ」

 おばあ記者は教えてくれた。

 「親子4匹のほかにも2、3匹いてねえ。その中でも、体の大きい黒ネコがこのあたりを仕切ってるみたいなのね。離れたところで飼われているらしいんだけど、こっちの方まで遠征してくるのよ。黒ネコがくると、皆にげちゃって。うちの福ちゃんも苦手なの」

 どうやらぼくの家は、ネコたちの縄張り争いのターゲットになったらしい。野良猫だけでなく、近所で飼われているネコも参戦しているようだった。
 子どもが生き残るのは大変だな、これは。
 それから幾日か、夜は騒がしくなった。
 ときおり外から、<9時>の

 「うわーーー」

 という声が聞こえたので、おそらく逃げ回っているんだろう。

<9時(暫定)・♂>


 ある日、<9時>が窓から稲妻のような勢いで飛び込んできた。
 そのままベッドの下に走り込むと、隅の方でうなりはじめた。
 続けざまに、黒い影が部屋に飛び込んできた。
 黒ネコ!?
 こいつがジャイアンか!

 <9時>は、黒ネコに追われて、ここに逃げてきたらしい。
 ところが追いかけてきた黒ネコは興奮した様子もなく、

 「ここ、あのチビの家?」

 と、聞いてきた。
 どうもぼくはオスとだけは話ができるようだ。

 「そういうことにしたいんじゃないか」
 「ふーん」

 黒ネコは興味深げにぼくの部屋を見回す。
 ベッドの下からは<9時>が震えた声で、

 「かかってこんかーい」

 と、つぶやいている。
 しかし黒ネコは<9時>のことなど、どうでもよくなったようだ。

 「ここ、なんだか気に入っちゃったな」
 「悪いんだけど、チビがさ、ビビってる」
 「おれ、いていい?」
 「いいと言いたいが、出ていってもらえるか?」
 「えー」

 黒ネコは拒んだが、近寄って抱き上げると素直に従った。
 こいつ、相当人馴れしている。意外に話のわかるやつだ。ぼくは黒ネコを抱きかかえ、窓辺に立たせた。
 その時、ふと視線を感じ、ぼくは周囲を見回した。向かいのアパートのひさしの上から、こちらをじっと見つめる目があった。
 無愛想な三白眼、<福ちゃん>ではないか!
 
 「市原悦子!?」

 ぼくはその時はじめて理解した。<福ちゃん>こそ、おばあ記者のニュースソース、情報収集アシスタントだったのだ。<福ちゃん>はおばあ記者の手足となって、ネコ情報を収集していたのである。

 10月も過ぎ、外は寒くなってきた。
 ネコ同士の縄張り争いはつづいていたが、<8時>と<9時>は、ぼくの部屋の中にいることが多くなってきた。
 が、<1時>はどうしたのか。<6時>もいっこうに近寄っては来ない。
 ぼくは毎晩、<1時>と<6時>のために、エサ皿を外に出し続けた。そのうち食事が、以前のようには減らなくなった。同時に<6時>の姿をまったく見かけなくなっていた。そして11月のなか頃、ついに食事は朝まで手付かずになった。

 「お母さんネコもいなくなっちゃったわねえ」

 と、おばあ記者は言った。
 母親<1時>は、子どもの<8時>と<9時>に縄張りを明け渡したのだ。

 「美人さんもいなくなっちゃって、残念ねえ」

 おばあさんは本当に残念そうだった。
 ぼくが帰ってくると、毎日<8時>と<9時>はどこかからともなくやってくる。
 <8時>と<9時>は仲が良かった。いつも部屋の中で寄り添って眠り、じゃれあって遊んでいた。
そのころからぼくも、口の中の語呂が悪いので、
 <はち><きゅう>
 と呼ぶようになった。

<きゅう>と<はち>


 動物を飼う、ということを考えると、いつも頭に浮んでくる風景がある。
 ぼくはいくどか仕事で、中国や東南アジアに行った。都会だけでなく、かなりの田舎にも行ったけれど、かならずどこでも野良犬や野良猫がたくさんいた。みな痩せていて薄汚い。
 ところが、その街角の人たちはダレカレとなく餌を与えたり、撫でながら一緒に日向ぼっこをしていた。路地裏では、はだしの子どもたちとやせた犬がじゃれあってる。気になって誰の犬かとたずねたが、逆にぼくの質問の意味がわからない、ここにいる犬だしネコだよ、と答えられた。人と犬とネコは、その土地で一緒に生活をしているだけなのだ。それがすごく自然に思えた。
 もちろん日本とは社会環境が違うので比較もできない。きっと衛生的には、いいことではないだろう。
 だけど、ぼくはその風景を見ながら思った。
 この大地に生きる動物のなかで、犬とネコは、人間と一緒にいることをいとわない種族なのかもしれない。ぼくたちのほうが彼らから、一緒にいてやってもいいよ、といわれているような気がしたのだ。だとしたら人間は、地球で一番孤独な動物かもしれないなあ、ってね。

 しかし、ともに暮らしても、人間の入れない領域もある。
 年が明けて、今年の1月の終わりごろか、
 <きゅう>が<はち>に襲いかかり始めた。
 はじめはいつものように、じゃれているのかと思った。が、かみついた<きゅう>に<はち>が本気で怒り出した。いくたびかそうした、いさかいが続き、ついに<はち>が窓から飛び出してしまった。
 それが、ぼくが見た<はち>の最後の姿だった。
 <はち>は二度と帰ってこなかった。
 ぼくは<きゅう>にきいた。

 「おまえ、<はち>を追い出したのか?」

 ところが、いつもよくしゃべる<きゅう>が、ひとことも返事をしない。
 考えてみれば、ちょうど1歳になるころだった。
 二匹は本当のオトナになったのかもしれない。
 それが親子や兄弟であっても、生き残っていくために別れなければいけない。甘ったれと思っていたネコに、ぼくは野性を見た気がした。
 そんなわけで。
 勝ち抜いた<きゅう>は今、わが物顔でうちに出入りしている。

 「おまえさ、飼われてるつもりある?」

 と、ぼくは<きゅう>にきく。

 「ない」

 <きゅう>は、はっきりとそう答える。
 <きゅう>は、ぼくがいない時は、となりのおばあさんに甘えているらしい。
 したたかなやつだ。
 ふだんは勝手気ままに出歩いているが、雨の日は家のなか、窓辺でじっと外を眺めている。いっしょに強い雨脚を眺めていると、ぼくは<1時>や<6時>、<はち>のことを思い出す。女性はたくましいから大丈夫だと思うけれど。

 「あいつら、元気かなあ」

 と、ぼくがつぶやくと、
  <きゅう>は、ちんこを見せつけてくる。

 やっぱり男はバカだ。

(2016年9月24日記)

#猫 #野良猫


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