見出し画像

【第3回JWCSラジオ リンク記事】 感染症による宿主の行動操作


10月22日に配信されたJWCSラジオ《生きもの地球ツアー》の第三回放送、

『地球温暖化と動物からうつる病気には関係がある?』

聞いていただけましたでしょうか。

 本記事は、第三回放送とのリンク記事です。まだお聞きになられていない方は、ぜひお聞きください。このブログでは、ラジオでお話しした感染症について、より掘り下げてお話ししていきたいと思います。


行動操作イラスト


 ヒトを含む動物の体内で病気を引き起こす微小な生き物を病原体と呼び、病原体によって引き起こされる病気を感染症と呼びます。感染症のほとんどはヒトと動物間で感染する人獣共通感染症であり [1]、感染し発症すると身体的・精神的な症状が出るものが多くあります。
 

 ラジオ内で話題となった狂犬病ウイルスは感染し発症すると、感染個体(宿主)が凶暴になることでも有名です。これは病原体が宿主の中枢神経系に何らかの影響を及ぼし、結果的に宿主の行動が変わるためということが知られています。このように、病原体が宿主の行動を変化させることを「宿主の行動操作(Behavioral host manipulation)」と言います。

 特に致死的な感染症の病原体だと、今寄生・感染している宿主が死んでしまえば病原体も一緒に死んでしまうので、宿主が死ぬ前に違う宿主に移らないといけません。そのため、病原体が宿主の行動を操作することで幅広い個体・種に近づき、結果的に病原体が拡散できることから、この特性は病原体の適応的な進化(自然選択)であるという仮説が幅広く知られています。

宿主の行動操作の例

1. 狂犬病ウイルス
 ラジオでも紹介した通り、狂犬病を発症してしまえば治療法はなく致死率はほぼ100%という、とても危険な人獣共通感染症です。日本は1971年以来狂犬病ウイルスの撲滅を達成している数少ない撲滅国(清浄国)で、1970年以降、日本国内のイヌから感染症ウイルスは検出されていません [2]。これは、1950年に開始された飼い犬への狂犬病ウイルスのワクチン摂取が義務化されたこと、また国内の狂犬病は飼い犬由来のものしかなかったことが理由で、徐々に狂犬病ウイルスが洗浄されていきました [2,3]。しかし、ネパールやフィリピン旅行中に犬に噛まれ、日本帰国後に発症・死亡した例が1970年以降に4例あります [2]。

 日本の他に、2022年1月現在、ニュージーランドやオーストラリア、アイスランド、フィジー諸島、ハワイ、グアムの6地域が清浄国として農林水産大臣に指定されています。しかしそれらの国・地域を除く他の多くの国では、動物から人への狂犬病感染が現在でも多く報告されており、世界で毎年約6万人(一日約160人)もの死亡者が出ています。以前は台湾も狂犬病撲滅国の一つでしたが、2013年7月に狂犬病に感染したイタチアナグマの野生個体が発見され、さらにその後感染したイタチアナグマによる人や飼い犬への噛みつき事故がいくつか発生しています [2]。また、狂犬病が直接の原因で亡くなった世界の全死亡者数の約60%がアジアだけで記録されています [4]。

 狂犬病は、感染個体に噛まれるなどして傷口から狂犬病ウイルスが侵入し、神経を伝って最終的に脳に到達・増殖し、脳炎が発症します。発症すると同時に、感染した個体が凶暴になることが知られています。狂犬病ウイルスによってどのように宿主の行動が操作されるかのメカニズムは未だあまりわかっていません。しかし、感染することで中枢神経系のニコチン性アセチルコリン受容体の活動を阻害し、結果的に感染個体が多動になったり、噛みつく行動と付随して唾液量の増加が見られたりということがわかっています [5]。この両方の変化はどちらも、他個体に感染させる確率を上げるためであろうと、考えられています。


2. トキソプラズマ原虫
 狂犬病ウイルスの他に、宿主の行動操作が起こることで有名な病原体の一つは、トキソプラズマ原虫です。トキソプラズマ原虫は野生生物、家畜動物、人間などの温血動物の全てに寄生することが知られています。世界では3人に一人が感染しているとされており、世界中の至る所で蔓延しています。宿主には、無性生殖のみが行われる中間宿主と、有性生殖が行われる終宿主に分かれます。トキソプラズマ原虫の場合、ネコ科動物のみ終宿主であり、そのほかのヒト含む動物は中間宿主です [6]。終宿主の感染したネコ科動物の糞が排出された土壌や水中などの環境中に存在し、接触することにより経口感染します。またヒトや家畜などの中間宿主間でも、摂食することで感染するので、例えば感染した家畜を食べることでヒトにも感染します。トキソプラズマに感染すると、ヒトの場合は風邪のような症状と軽度であり、寄生された宿主も気づくことが難しいことが知られています [7]。

トキソプラズマ感染経路


 トキソプラズマ原虫は有性生殖を行う終宿主に寄生することで、糞便などで環境中に効率よくばら撒かれ、さらなる拡大を行う必要があります。実際に、トキソプラズマ原虫に寄生された中間宿主は、中間宿主にとって捕食者である終宿主に近づくなどの大胆な行動を示すことが、齧歯類などを中心に報告されています。本来であれば、野生の齧歯類動物は捕食者であるネコ科からの捕食を避けるために、ネコ科動物の残した痕跡(例えば匂い)を察知して、事前に回避行動をとります。しかし、トキソプラズマに寄生された齧歯類は、この回避行動が減るだけでなく、むしろ近づいていくことが研究報告されています [8]。他にも、アフリカのサバンナに生息するブチハイエナ(ハイエナ科)の幼獣は、トキソプラズマに感染すると、捕食者であるライオン(ネコ科)に近づくことが報告されています [9]。

 このように、感染した中間宿主が終宿主に「自ら」近づき捕食されることで、トキソプラズマ原虫は終宿主に効率よく寄生・有性生殖でき、終宿主から排出される糞便からさらなる感染拡大が見込まれます。トキソプラズマ感染における中間宿主の行動変化と終宿主の感染率増加についての実証研究は未だ数が限られています。しかし一部の研究者は、この中間宿主における行動変化は、トキソプラズマ原虫の適応的な進化によるものだろうと予測しています [9]。

 面白いことにヒトにおいても、このトキソプラズマ原虫の感染により行動が大胆になるといった行動変化が報告されています。その例として、トキソプラズマに感染した人は、リスクのあるビジネス(例えば起業)をする傾向があるという研究報告があります [10]。


【まとめ】

 今回紹介した狂犬病やトキソプラズマ原虫は、世界中で蔓延している感染症です。今回は、これらの感染症を「行動操作」という病原体の進化的側面から見ていきました。忘れてはいけないことは、狂犬病に感染し発症してしまうと、治療法はほとんどなく、致死率は約100%と恐ろしい感染症ということです。日本国内の狂犬病感染拡大の予防として、イヌを飼育している飼い主は、毎年の飼い犬の狂犬病のワクチン注射が義務付けられています。現在日本は狂犬病清浄国ですが、狂犬病ウイルスに関わらず、あらゆる人獣共通感染症が日本へ伝播し感染拡大する可能性があります。感染しないために、そして将来のパンデミックを防ぐためにも、自分自身またはペットのワクチン接種が有効です。また海外旅行など、感染リスクが高い環境に行かれる際は、十分に注意が必要です。




【引用】
[1] K.E. Jones, N.G. Patel, M.A. Levy, A. Storeygard, D. Balk, J.L. Gittleman, P. Daszak, Global trends in emerging infectious diseases, Nature. 451 (2008) 990–993. https://doi.org/10.1038/nature06536.
[2] 厚生労働省, 狂犬病, https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/ (accessed December 12, 2021).
[3] 加藤茂孝, 狂犬病 パスツールがワクチン開発, モダンメディア. 61 (2015) 63–71.
[4] WHO Expert Consultation on Rabies, third report, Geneva, 2018.
[5] K. Hueffer, S. Khatri, S. Rideout, M.B. Harris, R.L. Papke, C. Stokes, M.K. Schulte, Rabies virus modifies host behaviour through a snake-toxin like region of its glycoprotein that inhibits neurotransmitter receptors in the CNS, Sci. Rep. 7 (2017) 1–8. https://doi.org/10.1038/s41598-017-12726-4.
[6] 国立感染症研究所, トキソプラズマ症とは, (2012). https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/3009-toxoplasma-intro.html (accessed January 13, 2022).
[7] 西川 義文, 宿主を支配する微生物, (2018).
http://shochou-kaigi.org/interview/interview_61/
(accessed January 13, 2022).
[8] M. Berdoy, J.P. Webster, D.W. Mcdonald, Fatal attraction in rats infected with Toxoplasma gondii, Proc. R. Soc. B Biol. Sci. 267 (2000) 1591–1594. https://doi.org/10.1098/rspb.2000.1182.
[9] E. Gering, Z.M. Laubach, P.S.D. Weber, G. Soboll Hussey, K.D.S. Lehmann, T.M. Montgomery, J.W. Turner, W. Perng, M.O. Pioon, K.E. Holekamp, T. Getty, Toxoplasma gondii infections are associated with costly boldness toward felids in a wild host, Nat. Commun. 12 (2021). https://doi.org/10.1038/s41467-021-24092-x.
[10] S.K. Johnson, M.A. Fitza, D.A. Lerner, D.M. Calhoun, M.A. Beldon, E.T. Chan, P.T.J. Johnson, Risky business: Linking Toxoplasma gondii infection and entrepreneurship behaviours across individuals and countries, Proc. R. Soc. B Biol. Sci. 285 (2018). https://doi.org/10.1098/rspb.2018.0822.




当会は寄付や会費で運営する認定NPO法人です。活動へのご支援をお願いします。