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iPadにだって、油性ペンで、殴り書き

 
 学年が変わった新学期は、落ち着かない。ソワソワでドキドキの毎日だ。新しい制服、見慣れないクラスメイト、お初にお目にかかる先生たち。寒さから暖かさへ気候は移り変わり、今までの生活環境が変化する。


 新しいもの尽くしの4月の中では影は薄いものの、そこそこ嬉しい新しいものを我々は手にする。教科書。勉強が嫌いな私であっても、新しい教科書がそれも大量に自分のものになるのは、なんとも心躍る気持ちになる。小中学校は義務教育であるので、教科書に関しては国から無償で配布される。よって多くの学校では、新学年になると教室で一斉に配られる。


 担任の先生は、段ボールを勢いよく破り、積み重なった教科書を前列の机に、テンポよく置いていく。前の席であるクラスメイトは、後ろの列に1冊ずつ配布していく。国語、算数、社会、音楽などと、それは繰り返し行われ、机には形や厚さの異なる教科書たちが山積みになっていく。「どうもテカテカしていて、鉛筆では書きにくい紙質だよなぁ。」と思いながら、ペラペラとページをめくり、教科書の匂いを嗅ぐ。それは温かさの残る、出来立てのカラー写真の匂いに、少し似ている。決していい匂いではないのだが、「これを機に、賢い頭になれるかも」と淡い期待を抱かしてくれる。


 ただ、世の中残酷なもので、この新しい教科書たちを、私はすぐさま汚さなければならない。自身の名前を書く。廊下に貼りだされた掲示物では、筆圧の強さとマスをはみ出すほどの大きさ、そして我流の止め・払いで悪目立ちする、私の字。名前を書き忘れたプリントも「はいはい。この字は、○○君の!」とすぐに帰ってくる、私の字。


 油性ペンで、消えないように、所有者が分かるように、名前を書かなければならない。周りを見渡すと、メジャーなペンを使っている人。カスカスの薄いペンで書いている人。「へぇー、あの子、よくわからない変なメーカーの油性ペン使っている」など。


 「名前を書きたくない」気持ちは強く、代替案を考える。隣の席のあの子の、丸っこい可愛らしい字を見て思いつく。「誰かに書いてもらうのはどうだろうか?」気になっている、好きなあの子に、自分の名前を書いてもらう。それも、ちょっとやそっとでは書き消せないペンで。1年間ずっと使うこの教科書に。
 こんなおかしな妄想ばかりしているから、21歳にもなっても、ラジオばかり聴き人付き合いのできない人間になってしまった。


 あるバイトを辞める際、丁寧に送別会をして下さったことがあった。短い間の期限付きのバイトであり、私は懸命に働いたものの、対人関係を築くことなく、送別会を迎えた。バイト先の人の出身地、好きな音楽、最近読んだ本を知ることなく、仕事に必要な最低限の情報だけの会話で、仕事だけの付き合いという淡白な関係を貫いた。人付き合いが苦手な人間は、人と関わることが何よりも精神的な疲労に繋がる。何とも人間味のない嫌な性格であることは重々承知しているのだが、「皆さんとは仕事だけの関わり」と割り切らないと、私はやってられない。


 できれば、送別会も行きたくなかった。もしもこの場で会話を重ね親睦を深めてしまったら、別れが悲しくなってしまう。何より、私のバイト先の態度が、いかに無慈悲であったことが際立ってしまうことになる。そうはならなくても、そこに人付き合いのないものに居場所はない。
 当たり障りのない会話をしながら、何を食べているのかわからないほど暗いお店で、時は過ぎた。


 「では、最後の○○君から、お別れの一言を」と全体に向けて、私の名前がアナウンスされた。「やっぱりそう来たか」今日は朝からずっと、お別れの言葉で何を話そうか考えていた。いや、この会の日程が決まったときから、このバイトの初出勤から考えていたような気もする。このバイトでの出来事を整理していると、一つ心に深く刻まれていることが浮かんできた。

 名前を呼ばれたこと。「○○君、おはよう」から始まり、「○○君、今日の授業どうだったの?」「荷物多いね、○○君」「○○、手伝って」と、「○○君、お疲れ様~」と終わっていく。この仕事をやっていると、多くの仕事仲間から名前を呼んでもらえた。名前を読んでもらうことが、私の存在意義を実感させてくれた。


 簡単に言えば、名前をたくさん読んでもらえて嬉しかった。そのように、お別れの言葉を締めくくろうとすると、「○○君!!」と大きな声が跳んできた。声の主は、一つ上の先輩。よく働き、気を遣い、優しく、誰よりも面倒を見てくれた先輩であった。後にも先にも、これほど尊敬してやまない方はいないと思うほど、大好きな先輩の一言だった。もう先輩の声で私の名前を聞くことはできないのか。そう思うと、後悔と悲しさで胸がいっぱいになった。これからの人生で、いつかまた「○○君、久しぶり!」と呼んでもらえるように、生きていくことを、帰りの電車内で心に決めた。


 未だに、自分の名前を上手く書けない。未だに、あの人の名前を思うだけで赤面し、上手に呼ぶことができない。でも、上手く書けるようになりたくないし、恥ずかしい気持ちを忘れずに呼んでいたい。これがろくに教科書を読まずに、惰性で生きてきた人間の答えである。


<ここで一曲>

4月、雨が降っていた日曜日。ギルバートオサリバンのライブに行きました。この季節は、聴く頻度が増えてしまいます。

書いた人:みとちゃん
ひとこと:分厚い難しそうな本を買いました。難しい言葉ばかりで、やっぱり難しいです。難しいことを考えて、頭が良くなりたいです。

WACODES

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