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そう遠くはない、入る袋に関するその周辺の妄想

 死後の世界を想像し一抹の恐怖を感じることはあるものの、一睡もできなかった経験は一度もない。元来床に就くとバタンキューであり、一日中寝ることができるのであれば、また一生のお願いが叶うというのであれば、「あなたに逢えるまで 眠り続けたい」と、きっと願う。

 このような文章を考える暇は、今の私にはないはずだ。現在日曜日。次の火曜日に、それなりに大きな行事がある。覚えなければならないこと、考えをまとめなければならないことばかりで、突き詰めるのは不可能なほどに山積みとなっている。このような状態であるにも関わらず、あれこれと飯の足しにもならないことをつらつらと、ああだこうだと考えている。またチャンスを逃すであろうという憶測から離れたい、現実逃避だろう。
 何も準備をしていない野郎が、なぜ良い成績を残したいと欲を出すのか?勝手極まりなく、一生このような思考のもと生き続けるのかと思うと、このPCを真っ二つにし、窓を開けずガラスを突き破りながら落下していく残骸に、唾を吐き出したくなる。それぐらいの行動ができるのであれば、どこかしら何かしらの何かに引っかかり、特定の何かしらの注目を集めているであろうが、私は考えるだけ、書き残すだけで留まっている。良いのだか、悪いのだか。(執筆時と投稿時の期間が、しばらく空いた。そのため、今現在、この行事が失敗に終わっていることを認識つつ、投稿するため、誤字脱字の最終チェックをしている。)

 死後の話題に戻る。死んだ後の話となると、多くの考え方がありそうだ。高校の日本史をろくに受けなかった者ではあるが、「死というものが宗教と深く関わっている」と印象を受けた。なにぶん私は「死んだら天国にいく、それとも地獄。はたまた、無の世界?」といった小学生の知識の範疇を出ていない。そういった者でも死というものに対しては、考えを巡らし、人知れずに孤独感を抱く。
 そんなことを考えていると、祖父の葬式が何年か前にあったことを思い出した。ここでは死後の果てしない世界ではなく、「死後、お墓に入るまでの過程」を私が死んだと仮定しながら、考えていく。

 亡くなると、多くの場合は自宅もしくは葬儀屋の安置室に行くことになる。今私が死んだとすると、この狭い実家に私を置くことは邪魔である。よって葬儀屋の安置室に私は置かれる。暗いところに一人でいることはあまり好まないが、20年布団で睡眠をとってきたため、布団に寝かしてもらえるのなら、どこであれそこそこ快適に過ごせる自信がある。
 そのうち、棺の中に入れてもらう。棺の中は傍から見ると、非常に窮屈そうだ。寝相が悪いため大きめの物に入りたいものだが、運んでもらう際、遺体がグラグラするのも悪いため小さめのもので我慢しよう。特に棺に入れて欲しい物はない(火葬するときに燃焼を盛り上げる物を入れてもらったら、面白いかも。。。具体的には花火しか思いつかないが、恐らく何かの規制に引っかかり入れることはできないだろう)。

 お通夜である。祖父のお通夜は、耳馴染みの読経が聴け、楽しかった。私の通っていた高校が仏教学校で般若心経を毎週唱え、口ずさめる程度に身に付いたためである。滑り止めで入った高校ではあるが、お通夜を楽しめる教養を身に付けられる学校はそうはない。私のお通夜では、一緒には唱えることはできないが、あの木魚のリズムに合わせた般若心経を聴けることを想像すると、心躍る。

 午後に行われるお通夜と翌日の午前に行われる葬式、この間が少々不安である。棺守りといい、遺族が夜通し棺に付きそう工程がそれに当たる。『北の国から』で観たことがあるため、なんとなく想像が出来る。
 これが非常に暇を持て余すのではないだろうか。眠い目をこすりながら起きている親族や友人が周りにいるのなら、死んでいても寝るにも寝づらい。どうせ、私の悪口や死んでせいせいしたと言われることが関の山だ。であるならば、ラジオをかけて欲しい。私の好きな芸人さんの深夜番組でもいいし、もちろんリアルタイムで流れているJ-WAVEでもいい。


 今聴いている好きなラジオ番組が、私が死ぬときまでどれだけ続いているのか。不思議なもので、私が死ぬということよりも、あの番組が終わってしまっていると想像する方が、圧倒的に胸が苦しみ、こみ上げるものがある。     
 今ここで、私の人生の目標を定める。「葬儀屋で流して欲しいラジオ番組を探し続ける」。なかなか洒落た目標である。

 私の記憶では、葬式はお通夜とほとんど同じ内容であった。また般若心経が聴けるのは、悪くない。だが欲を言えば、出棺のとき霊柩車の車内では、好きな音楽を流して欲しい。今好きな曲は、死ぬ直前でも好きでいられるのか。これは、なかなか興味深い。そのうち実体験で解消できる、疑問であるろう。

 では、火葬の際聴きたい音楽は、、、というよりも、燃える音しか聴くことができないだろう。まぁ、焚き火は好きなので、問題ない。

 今回のテーマである「ふくろ」が、ここでやっと登場する。骨壺を覆う袋。ネットで調べてみると色々な種類や名前があり、宗教や地域でも用途がかなり異なるそうだ。イメージだと白くツヤツヤした質感の袋である。散々「袋」が登場するまで、ダラダラと文章を書いてきたのだが、残念なことに「袋」に関してはもうこれ以外何も思うことがない。どんな「袋」に自身の骨が納められても構わないし、もう骨だけであるのでどんなお墓に入ろうと気にならない。自分の身体が骨になってしまうと、自分に対しての興味がみるみる薄れていく。不思議な感覚だ。

 初回の投稿でありながら乱暴にテーマをこじつけ、歯切れの悪い終わりになってしまい、かなりの罪悪感がある。偏に、私の技量不足である。そう遠くはない袋に入る前に、「とにかくラジオを飽きるほど聴いていたい」という思いと、「そんなことより葬式に来てくれるような家族や友人をつくることが先だ」という焦りの狭間で、今日も、今も生活している。


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ゆりかごからに乗っている頃から聴いているので、墓場まで聴きたいです。

書いた人:みとちゃん
一言:四六時中「ずっとラジオが聴ける、仕事に就きたいぁ」と3日に1度は、考えています。

WACODES

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