記憶の蕾と、和田誠と。
ふとした時に、
思わぬところで、
記憶の点が繋がったりすることがありませんか?
まるで、頭の中でパッと花が咲くような感覚。
「どこかでこの景色を見たことあるような・・・」
というデジャヴュのようなものもあれば、
明確に「あの日、あの時に見たものだ、聞いたものだ!」
となることもある。
面白いのは、それがいつも唐突にやってくること。
去年の10月、新宿にある東京オペラシティアートギャラリーで開催されていた『和田誠展』に行った時です。
ずらりと並んだ週刊文春の表紙や、和田誠の描く様々な著名人の似顔絵が大きなスケールで展示される中、
ひとつ、腰の高さほどの小さなショーケースに入った1冊の雑誌の表紙と裏表紙が僕の目に留まりました。
オーバーオールを着たライオンがポケットからロケットを取り出している表紙絵。雑誌のタイトルは『おおきなポケット』。
どのタイミングかは全く覚えていないし、内容も全く覚えていないけれど、「この表紙見たことある!」
と全身を電流が駆け巡るかの如く、記憶が甦りました。
表紙には「2004年4月号」の表記が。
ちょうど僕が3歳から4歳あたりの頃に出版されたものです。
気になって親に確認してみたところ、やはり僕は確かにその雑誌を読んでいたとのこと。
父親の会社の福利厚生で雑誌の年間購読サービスがあったらしく、そこで親が選んだのものが福音館書店が出版している子供向け雑誌『おおきなポケット』、とのことでした。
そんな、思わぬところでの記憶の開花を経験してしまってからというもの、色々なところで考えてしまいます。
「今、この瞬間もいつか記憶として開花するかもしれない・・・」、と。
それは例えば、
大学の退屈な講義中だったり、
飲み会帰りの深夜のコンビニだったり、
または一人部屋の中で訳もわからない不安感に襲われる時だったり。
ポジティブなものも、ネガティブなものも、
どっちとも言えないものも全部。
色々な経験や体験が、全て蕾のように過去に存在していて、
ふとした瞬間、何かをきっかけにパッと花開くような、
そんなイメージが今は頭の中にあります。
もしかしたら明日は、予想もしていないところから花が咲くかもしれない。
そして退屈な今日も、
いつか花を咲かす記憶の蕾を作っている最中なのかもしれない。
そんな期待を持つだけで、
なんだか色んなものを肯定できるような気がしています
<ここで一曲>
どうしても効率とかコスパとか考えてしまうけれど、もっと無駄なことを無駄なまま楽しめれば、それはきっと記憶の蕾になるはず。
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