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メカブとSNSとの距離感


 3カ月前のある日「メカブを食べないようにしよう」と、私は心に誓った。あの、海藻のメカブのことである。あれからしばらく、口にしていない。メカブ断ちである。

 何故か3、4パックで構成され、販売されることが多いメカブは、ラーメンやお茶漬けなどいいか加減になりがちな家での昼食に、重宝する。

 昆布や海苔、モズクが好きな私がメカブ断ちをした理由は、「嫌いになりそうな予感」がしたからだ。「嫌いになった」のではなく、「嫌いになりそうな予感」。好きという気持ちが変化し、飽きが訪れ、やがて嫌いになる。この道をメカブとともに、歩みそうな気がした。

 過去にこの道を辿った食材は、卵かけごはん、納豆、スーパーの安売りシールの付いた真っ赤なマグロが挙げられる。好きであるがため夢中で毎日のように食べていたら、いつの間に気持ちが冷めて、味も触感も受け付けなくなってしまった。

 この経験から、私はメカブに対し、「今後3年間、会わない」という選択をとることに決めた。好きであるものと会えなくなることは寂しいが、好きであり続けるために選んだことである。好きなものが嫌いになる辛さに比べれば、大した事はないはずだ。この3年間はメカブを思ったり、忘れたりを繰り返すのだろう。距離感は、好き嫌いを左右する。


 現代社会の難しい距離感の一つとして挙げられるのは、SNSであろう。「私はこのSNSを一切していない」と言いたいところではあるが、おつまみ程度に味わっている。Twitter、Instagram、Facebookのアカウントは1つも所有していない。noteに関しては、このWACODESのアカウント作成の際に個人用を登録したが、今はほとんど手を付けていない。そのうち、削除するであろう。

 LINEは、家族と渋々登録した方々の11人だけである。普段はLINEはやっていないと嘘をつき、連絡先の交換を回避している。また、アカウントをまるっきり新しく変え、しばらく削除し続けたこともある。

 卑怯で自分勝手でわがままな行動を取る原動力は、「人と繋がりたくない」という強い気持ちだ。学校やサークル、習い事などのコミュニティを一つ離れると、途端に繋がりを絶ちたくなる。授業中は楽しくやり取りできていた相手でも、休む時間や帰り道などのフリーな時間は、何を話せばよいのか分からなくなり、緊張感であがってしまう。互いに協力し取り組む課題が1つでもあればいいのだが、自由な時間はどうもいたたまれなくなる。なので、一匹狼を装い格好をつけ、隙間時間には読書をし、一人で学食を食べ、足早に帰宅する。

 人付き合いが悪いといえばそれまでなのだが、SNSで繋がるなんて、なおのこと私にとっては苦痛である。Twitterで知り合いのプライベートをチェックする、LINEでのリアルタイムなやり取り等は、絶対にできないしやらない。だったらSNSなんか通さないで、直接会って知りたいし、聞きたい。SNSの時・場所の選ばない近い距離感とその依存性は、私が耐えられて楽しめる代物ではない。よって、SNSとは距離をとる、選択をしている。

 好きであり続けるためにも、自分を守るためにも、距離感は日々模索し続けなければならない。そんな距離感を適切に縮めてくれるのがラジオであり、素敵に演出してくれるのが音楽であると、私は心の底から思っている。


<ここで一曲>

ラジオといったらこの曲。彼女と若き清志郎さんの距離感も絶妙。

書いた人:みとちゃん
一言:点鼻薬を根気よく毎日使い続けた結果、鼻のとおりが今までにないほど快適(花粉症+通年性アレルギー性鼻炎)。
WACODES

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