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大東流と無刀取り2

3代将軍家光が制定した参勤交代により、老中・若年寄は常勤、城内生活となった。これらの人たちは城中帯刀することがないのである。城内では小太刀のみである。一方、功者は長物(つなぎ竿)等、大刀の持ち込みの可能性があった。また、相手が武士であれば注意すれば良いが、茶坊主(城内には女性はいないのが原則、奥女中は将軍の奥方付きの者である。)、下級の下人(庭番等)の無腰の者が大勢いる。彼らの攻撃は小太刀を抜かせないように両手を押さえていくのである。小太刀とはいえ、武器を持った者への襲撃であるから1対1ということはない、数名で一機に取り押さえるのである。
上に立つ者、護身法・脱出術の心得は必須だったのである。そしてこれを教える体系が江戸柳生系合気柔術なのである。
 
補足説明:大東流技法には、「無刀取り」と称する形はありません。
江戸柳生系合気柔術では本伝・教外別伝を含めそのほとんどの技法が対太刀(得物)を想定しており、これに素手・得物(杖・小太刀・懐剣・鉄扇など)で対応する方法を教えています。この意味で、鶴山先生は「すべての技法が無刀取りである」と語っているのです。
一方、柔術は筋肉や関節など体の使い方・攻め方の基本技術(柔術テクニック)を形としてまとめてあるもので、いわゆる「無刀取り」とは関係はありません。

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