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武田惣角と大阪との関わりについて3

(承前 補足説明)
その竹下が武田惣角の指導を受けたのは昭和9年のことです。
英名録によれば、岡田啓介閣下が総理大臣となり、梅津中将・浅野中将同道のもと海軍大将の面々に惣角直伝指導がなされたようです。そして、記念の揮毫がなされました。
メンバーは、海軍大将 安保清種・岡田啓介・加藤寛治・竹下勇・
           大角岑生(みねお)・野間口兼雄
      海軍中将 山路一善 浅野正恭 でした。
 次に「惣角が元帥侯爵西郷従道の武道教師(用心棒)となり随行し」、また、惣角本人も「西郷従道候がなかなか技を早く覚えた」とありますが、これも確認が出来ません。西郷従道(1843~1902)は明治13(1880)年に初代海軍大臣に任命され、その後要職を歴任しています。明治13年当時惣角は20歳ぐらいでした、英名録でその行跡が確認できる明治29年までの間に、なんらかの接点があったのかも知れませんが確認は出来ていません。一方、この間惣角は全国を武者修行して歩いたことは確実なようですから、このときの武勇伝や講習中の逸話を植芝から聞いた竹下が記事をとりまとめたものと思われます。(補足説明終り)


右側 上から 岡田啓介 加藤寛治 安保清種
左側 上から 竹下勇 大角岑生 浅野正恭 野間口兼雄
各氏の揮毫

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