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大東流の口伝19

ここで、この猫之手伝について、佐藤金兵衛氏が昭和39年1月から「武芸叢談(そうだん)」として連載を始めた読み物の第1回「昭和の武者修行」と題する記事に登場するので、引用しましょう。
 
太極拳王樹金老師を知る
昭和34年の暮れも押しつまった頃、和道流空手の大塚先生の連絡で、太極拳の師範が中国から来日してこれを普及したいといい、忍術の藤田西湖の所で話をきくので来ないか、という。童顔鼓腹(こふく)の王老師にお目にかかったのはこの時が最初である。
太極拳については戦前上海で発行された参考書も持っていて、その歴史や大体についての知識を持ってはいたものの実際に見るのは初めてであった。極めて柔軟で、非常に緩慢な動作であるが、全身に気が充ち満ちて、静中動アリ、動中静アリの立派な芸術と見受けられた。しかし武術としての実用性に大きな疑問を持った。そこで早速技を掛けるということになった。ところが、突いても、押しても、逆を取ろうとしてもコンニャクや鰻のようで、ヌラリクラリとして全く手ごたえなく逃げられる。小手返も四方投もフワリフワリと外されて問題にならない。王老師の手が一寸も動いたかと思うと、ハッとした時は三間も後方へ飛ばされ全くの子ども扱いであった。
この時、王老師が用いた逆の脱し方が武田惣角先生の猫手の伝という秘の口伝と同じであり、手背で当てた上中下段の当ては柳生心眼流の太極秘伝の拳法1箇條と全く同じ技であることを知って入門を決意したのである。

この記事からも、猫之手伝が返技技法に使われていることがわかります。

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