見出し画像

骨法の堀辺が来た(続)20

(承前長野君の手紙)
『換骨拳入門』でも古代相撲がルーツである旨主張していましたが、今回も相撲の話しを持ち出しています。そこで堀辺氏は自ら墓穴を掘っていることに気づいていたのでしょうか?
まず、共通認識のため私(長野)の相撲感を述べておきます。
堀辺氏が貴重本として引用している、昭和15年彦山光三著『相撲道綜鑑』(大相撲鑑識大系 第一巻国民体力協会)があります。同著の相撲史部分は明治34年発行の三木愛花(貞一)著『相撲史伝』を引用しています。同書はその書かれた時代背景(日本国家主義思想)を意識したもので、「相撲は神代より伝わる日本人の由緒正しい芸道である」ことを説き、相撲が欧化風潮の中で廃れてしまうことを防ごうとしたものなのです。こういった趣旨から多分にこじつけめいた証言文が多いのです。

相撲(角力)の始祖とされる、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の決闘の話しにも言えることです。ここで私が言いたいのは、二人の決闘は決して素手の格闘術の始まりではない、ということです。人間が両手を自由に使えるようになって以来、素手による格闘は存在していたハズです。しかし、それはあくまでも喧嘩・私闘に過ぎないものと思われます。部族間の戦いでは武器が使われていました。この神話を相撲の始まりとする真の意味は、本来は私闘であり両者の問題である「素手対素手」の格闘が、初めて天皇を初めとする公衆の面前でなされ、衆目の注目をあびる中で「疑似私闘」として行われたことにある、と思います。(続)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?