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大東流基礎理論-和(下)

「和」というのは、元来仏教の教えであった。仏教の僧はもともと集団で行動を共にして仏教教義を説いて廻った。この集団をサンガといい、中国では僧伽(そうぎゃ)と音訳し、日本では和合衆と訳している。この教団においては「和」ということが強調され、その仏教衆団組織の維持に大きな効果があった。この組織原理を採用したのが聖徳太子の十七条憲法であった。有名な第1条「和をもって貴しとなし…」である。太子は仏教の普遍的思想をもって、和合と協調を説いたのである。
サンガすなわち教団には、様々な性格の人間がいる前提となっていた。だから仏教では「八万四千の法門」といって、八万四千種の教えをお釈迦様(釈迦牟尼しゃかむに)が説かれたといっている。これは人間はそれだけ多様であるから、それなりに多様な教えがなくてはいけない、との考え方だ。様々な人が集まってサンガを作り一つ目標に向かって進んで行く、といのが「和」の精神である。
何が良くて何が悪いか、白黒をつけるのではなく、良い悪いは五十歩百本、我を張らないで相手の意見に耳を傾けることが大事なのである。つまり相手を理解すること、これが「和」の基本原理である。
仏教では四摂事(ししょうじ)といって、人々を導く方法を4種(布施・愛語・利行・同事)に分類しており、このうち同事摂では、相手と同じ立場・同じ高さに身を置いて相手を理解すると説いている。江戸柳生の基本哲理もここにあり、徳川将軍家も諸大名を把握するために「和」を大切にしていた。こんな話を惣角から聞いていた盛平は合気道の中に「和」の精神を引き継いでいった。

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