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大東流の奥伝-ヨギとのドッキング-3

江戸柳生系合気柔術では、中伝以降に返技が用意されている。盛平は習っていないから、植芝合気道にはこの返技がない。もっとも返技があっては、植芝合気道の理論体系が崩れてしまう。一部技法に盛平による、ある種の理論武装がなされた「和合の精神」「愛の武道」「正勝、吾勝、勝速日(まさかつ、あがつ、かつはやひ)」「宇宙と一体」といった論法では敵はいないことになるのである。つまり「敵が我に和合する」ということで、敵ではなく協力者なのである。武道ではない何か、これに返技を掛けたり当身を入れたりしては成立しなくなるからだ。植芝合気道門下で、当身を入れたり返技のようなことをする者が現われたようだが、その者たちは盛平の精神がわかっていないということになる。

合気とは一体化する技術だが、その一体化をもって和合や愛と解釈するのか、自他をコントロールするために活用するのか、で道がわかれたとも言える。盛平は独自の道を進み、戦前~戦後という時代背景があったにせよ吉祥丸がさらにこれを進め植芝合気道は武道ではない何か、として発展したということだ。

大東流合気柔術では、基本技すなわち、1~4か条の一般技、四方投・小手返・回転投・入身投の基礎技及び合気投のすべてに返技が用意されているのである。しかも、返技の返技、すなわち二段返し、三段返し・・・(秘伝返技5か条之事)が教えられる。この教えの本質は、技術的にはどこからでも基本技を施技できること、心得として「ご油断めさるな」にあるのである。
なお、小野派系柔術には返技はない、この技法を習うクラスの者には必要がないとの整理だからである。したがって、柔術を簡易化した合気柔術にも返技はない。一端技を切った後に、技を掛け返すことはあるが、これは江戸柳生系合気柔術における合気を前提とした返技とは違うものである。

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