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戊辰の年の年賀状5-江戸柳生と鶴山先生-

(承前)『図解コーチ合気道』とりまとめ時点で鶴山先生なりの研究は終わっていたのですが、未解決の諸問題もありました。すなわち、武田惣角の宝物「巻物」の位置づけです。大東流を継承した惣角がなぜ新陰流兵法の伝書「進履橋」を大事にし、その写しを植芝盛平に与えたのか?という問題です。新羅三郎説では説明が出来ない問題だったのです。

この問題解決のヒントも皆伝の口伝にありました。大東流の構成からすると柔術と合気柔術は別系統の全く違う技法体系であるものだったのです。ここでいう合気柔術は柳生流柔術とも称され、大正11年の大本教関係者に初めて公開されたものです。この技法を植芝盛平に教えた後、教授代理を許すとともにこれを証するものとして「進履橋」を渡したのです。これをもって江戸柳生と合気柔術は密接につながっている、と教えているのです。合気柔術には2種類あります。すなわち、柔術を簡易化したものと江戸柳生系合気柔術です。

そうすると、新たな疑問が生じます。合気柔術の技法には、新陰流兵法の勢法に似た形はありません。では、江戸柳生=新陰流兵法と合気柔術の何がつながっているのか?ここに、鶴山先生の新たな研究課題が発生したのです。(続)


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