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図表基準・花輪さん資料11

おおよそのところ、盛平の精神的態度と世界観が運動芸術に統合されたことは彼が日本の“禅”と強い接触をもったことから生まれたと考えられる。盛平が考えたものは合気道理論と実践との間に精神的な背景が存在していることは疑いの余地がない。しかし、彼の弟子の多くの人はその精神的背景を無条件には引き継がなかった。

「合気道の投げの動作は護身術というよりも、むしろ重さのない踊りの印象を与える。しかし、合気道は護身術であるべきものではない。盛平が企てた精神的な境地に到達できない人は、合気道の定義どおりに稽古していることにはならない。しかし、その定義どおりの境地に到達することができたら、我々はもはや護身術を必要としなくなる。なぜならば攻撃者がいなければ、もはや自分自身(それは一体何だろう?)が自分を護身する必要がないから。その境地に至るまでは、合気道の練習目的は二人または何人かの相手との間の協力と強調(合気)の練習なのである」(ブリン・ウイリアムズ著、アルバトロス発行「護身術」ツォリユンシュウイツ1976年版114頁)

この問題について、ウエルナ・クリストカイツはもっとハッキリした言葉で言っている。「すべての格闘スポーツは、多かれ少なかれ護身のための手段であるといってもよい。合気道の文献も同じことを述べている。しかしながら、ある格闘家が合気道を有効な護身術として使うためには、極めて熟達している必要があろう。多くの場所で警察官に合気道が教えられている。しかし、その方法はある合気道の道場で教えられる方法とほとんど違いがない。これに関しても、あらゆる攻撃の形態に関しても、非暴力的抑制と中立を主張する合気道の基本哲学が無視されているといってもよい。この現象を他の言葉で言えば真の合気道は護身の手段に適していない、ということである。」(「愛の武道」ESOTERA1978年5月408頁)

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