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武田惣吉のこと1

武田時宗氏が主張する「武田家代々に伝えられた」という大東流の系譜に関して、特に惣角の父惣吉についての論考です。なぜ、相撲が関係しこれがキーワードとなるのか、鶴山先生の鋭い分析が光っています。
 
『日本武道全集(人物往来社 昭和41(1966)年発行)』に掲載された大東流の資料は、武田時宗が提供したものである。それは新羅三郎源義光から始まって、武田家代々に伝えられたというもので、武田惣右衞門より惣吉を経て惣角に伝わったという。ここには西郷頼母のことは一切出てこない。最も惣右衞門が死んだのは惣角が生まれる30年も前だから、どうしても継年的に辻褄が合わない。西郷頼母も10代であるから、惣右衞門は会津武田家の先祖起源かもしれないが技法継承とは全く関係が無いことは、相当前からわかっていたことである。時宗氏の西郷頼母経由説はここに始まっているのである。
時宗氏は、惣角の父惣吉が田舎相撲の大関で「白糸」の名をもっており、八尺棒をビュンビュン振り回す剛の者だった、と述べている。まず、徳川時代武士であれば力士名など持たない。これだけのことで惣吉が農民であったことが明らかになる。次に、惣角は二男で明治維新の時9歳であった。会津藩士の息子なら7歳で漢書の素読をやり、9~10歳なら字が書ける。惣角が無学無筆であったということは、生家が百姓であったことが明らかなのである。

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