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武田惣角と大阪との関わりについて5
(承前)惣角は、大東流は警察官の逮捕術、名士の護身術として、秘伝教授として一般には公開を禁じていたので一般記者には「見世物ではない」と追い返すのが常であったが、東京朝日新聞記者が遠路のところ、惣角巡教の跡を次々に尋ねて来たその労苦を案じて快く尾坂記者の取材に応じた。尾坂記者は英名録に一流武道家並びに高位高官が大東流門人として名を連ねていることに驚いて感服し、帰社するや「今卜伝」と題して惣角の写真入りで報道した。このことが更に全国武道家の知るところとなり英明全国にとどろいた。卜伝、常陸国塚原の人卜伝高幹は、卜伝流兵法の祖で剣豪唯一として知られた人である。永正9(1512)年23歳から永禄5(1562)年72歳まで51年間出陣39回、真剣勝負19回、後代剣士とは比較にならぬ程の実戦を経験して81歳で他界した剣豪である。(続)
補足説明:朝日新聞社記者の尾坂與市は、昭和14年の英名録に朝日新聞社参与尾坂與市と記載があり正式に武田惣角から教伝を受けています。同氏はその後、朝日新聞社社会部長を経て大陸新報社(中国・上海に本社を置く国策新聞社「大陸新報」など発行)の理事長に就任しています。
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