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「合気道の極意でビクともしない一本足」(上)

昭和38年5月19日発行の週間読売に掲載され、藤平光一氏を一躍有名にした、読売ジャイアンツのバッティングコーチ荒川博氏に関する記事の一部に解説を加えて紹介します。

「合気道の極意でビクともしない一本足」
真新しい畳の目がシワになって、王選手の足の跡が歴然としている。そこに王選手がバットを構え、精かんなツラがまえで、前方をニラんでいる。がその足は、例のカカシである。力まかせに王選手の胸のあたりを押してみたところが、ビクともしない、二度三度ためしてみても、あの一本足は地に根が生えた如く盤石なのだ。次に一本足のままバットを前に差し出した。一見不安定なポーズである。その突き出したバットの先をまた「エイッ」と押しても動かない。合気道を知らない人は手品の如く見えることだろう。
そして荒川コーチが合気道を説く「合気は人間の自然な姿に返ることです。バッティングフォームにいらない力が入っているといけないんです。王選手の一本足は前からも、後ろからも、横からも、どこから押しても動かない体勢、これは合気道の基本にかなっているからです。合気道はそうした技術面のほか、精神面が実に役立つんです。例えば、バッターボックスに立ったとき、じっと気を静めると玉がよく見えてくるんです、その気の静め方も合気道で修養しています。」
荒川コーチは8年ほど前、毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)にいたころスランプに苦しんだ、どうしても打てないで夜も眠れず、教えてくれる人もいなかったのが身にしみたそうだ。「その頃西式健康法の創始者西勝造さんが、合気道の理事をしており、この人の紹介で合気道の本を読んだんです。六代目菊五郎(*)のような立派な人が習った。などということを聞いたので、自分もやってみようと決心したんです。もちろん合気道の練習でケガをしたら野球をやめる覚悟でした。」という荒川さんはいま合気道三段の腕前である。段が上がるにつれて、チームメートの榎本、葛城、小野、沢沼などの選手を新宿区若松町の合気道総本部道場に入門させた。
その荒川さんが去年(昭和37年)から巨人のバッティングコーチにすわった。「だいたい武道もスポーツも理論は同じです、それは両方とも心の修行ですよ。」と付け加えるところは並の野球人とはちょっと違う感覚の人物のようだ。(続く)
*六代目菊五郎の逸話は別稿で紹介予定

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