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極意秘伝のはなし40

24鏡の評
鏡という字を見ると、金・立・見と読める。鏡というのは、物の形を移し現わすには、最適である。鏡というのは事であって、道具にして心はない。見る人が見れば見えるものがあり、見えない人には見えない。動くところを移し見ることも自身の問題である。心のない鏡を使って道理を極め、鏡を大事にするのはいかがなことか。自分自身の心を明らかにできなければ、外のものを例えることに益はない。当流の教えは、心の鑑を心を明らかにして見ることで、何ごとにかかわらず、このことが大事である。したがって他流の心妙剣とは違うのである。他の鏡と心妙剣を述べているが、他流派をあざけっているのではない。他の鏡と当流の鑑の違いを言いたいがためである。よく考えて欲しい。口伝重々あるべし。
 
25風和の弁並びに歌
風和は、家の為形(しかた)、所作の根源である。風和の体を見ることは、心の体を現わすようなものだ。風は天地の間の気である。風常に和やかに吹くときは体見えず。草木振動し物に当たるをもって、風が吹いていると知ることが出来る。世界に形の見えない物はないが、風と心は見えにくいものだ。それでも、天地の気変じて、大風吹くときは、雲の色に現れる。風も和らいでいるときは、見えないのである。これをもって風和と名付けて、為形、所作の大事とするのである。平常、風和の心をもって形を直し、心気をもって和らぐべきである。心の体、口伝重々。
  風和の大事心持ちの歌
 身鞠(きく)心 風和所作 動目付権(はかる)従
  天理至極に従うの歌
 身投げず心投げず 気投げずかつ与え行く道を知るべし
右二十五箇條並びに歌の心持ち大概を書いた。深密のところは口伝すべきものである。

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