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武田惣角と大阪との関わりについて7

(承前 補足説明)惣角登場に関する話しは、久琢磨がいろいろなところで発表しています。そのうちの一つを紹介します。出典は「お陰で受けた朝日の光-合気道 =余生を大東流合気柔術の発展と遺伝に=(昭和57年)」と題する文章です。

私どもが植芝先生一門について、この合気道を修練している最中、昭和11年6月21日、本社受付に右手に鉄杖をジャンジャンと突き左手には銘刀を携え「我こそは、大東流合気柔術総務長武田惣角源正義なり、諸君は門人植芝盛平に習っているようだが、彼はまだまだ未熟だ、真の合気柔術を習わんと志すなら、よろしく只今より俺の門人となり習え」と一喝、有無を言わさず守衛達を引き連れ道場に入った。私は部長であることを秘して道場に忍び込み武田先生の秘技を実見した。
私はすぐに植芝先生のもとへ駆けつけ武田先生の出現を告げた。植芝先生はすぐに恩師の元に駆けつけると思ったが意外にも非常に驚愕して引っ込んでしまった。かくして私たちは朝日従来の如く梅田の道場で植芝先生一門の指導を受け、午後は武田先生を本社の守衛室道場に迎えて修練するという状況であった。植芝先生一門はその内に朝日に何らあいさつもせず東京に引き上げてしまったが、武田先生はますます熱心になり、その内息子時宗を伴って指導に来られた。(補足説明終り)


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