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骨法の堀辺が来た(続)23

(承前長野君の手紙)
寄り道したので、相撲の話しに戻ります。堀辺氏が主張する如く骨法のルーツが、家伝によれば「太古よりある手乞という格闘技を、万葉集で有名な大伴家持が編集したものである」と「手乞」と言う文字に相当するというのであれば、『相撲史伝』からすると相撲とルーツが同じという事になるわけです。

骨法のルーツが相撲と同じというなら、それなりに納得できるような気もします。そもそも相撲というのは武術とは違い見世物的格闘技の元祖ですから、堀辺氏の骨法も見世物の流れを汲んでいることになりましょう。そういえば、プロレスラーのグレートカブキ(元高千穂)にも指導したと言っていますが、グレートカブキ自身は参考になった程度にしか言っていません。そのあたりが、血統のなせる業かも知れません。

ところで、「手乞(てごい)」についてです。古事記では「手乞」と言う記述ですが、読み下しでは「手を取るを乞ひ」となります。三木愛花氏は、これは相撲用語であると解説しています。神話に出てくる「力競(ちからくらべ)」は相手の手を掴んで「引っ張りっこ」など行い互いに立っている位置から動いた方が負けといったといったものだったのでしょう。この神話の「力競(引っ張りっこ)」を「乞う」と解釈できるとすれば、堀辺氏の言う万葉集の「恋う」に関係ないとは言えないにしてもこじつけの感は拭えません。(続)

補足説明:「力競」や「手乞」は、古事記上巻5「葦原中国(あしはらなかつくに)の平定」に出てくる言葉です。この神話は、葦原中国で行われた建御雷(たけみかづち)と建御名方(たてみなかた)の戦いの話しです。建御雷は、大国主神に国譲りを迫りますが、大国主神は息子の一人である建御名方を使って建御雷を追い払おうとします。しかし、建御雷は建御名方を倒して勝利したのでした。
 
言「誰来我国而、忍忍如此物言。然欲為力競争。故、我先欲取其御手。」故令取其御手者、即取成立氷、亦取成剣刃、故爾懼而退居。爾欲取其建御名方神之手乞帰而取者、如取若葦搤批而投離者、即逃去。
大意:我が国に来て内緒話しをするのは誰だ、力くらべをしてみよう。私(建御名方之神)があなた(建御雷之神)の手を掴んでみよう。
建御雷がその手を掴ませると、たちどころに氷柱(つらら)や剣の刃になってしまった。
建御名方は恐れをなして引き下がった。次に建御雷が建御名方の手を掴むと葦の若葉を摘むかのように握りつぶし放り投げられたので建御名方は逃げ去った。

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