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蒔田完一氏『護身杖道』に意見する8

(コラム-承前)
武田先生は文盲であったので、久先生は武田先生の発声音“ごじ杖”を“御信杖”と推定された。しかし、筆者は大東流研究者として“御信杖”の正確な語源の由来を明確にさせておくべきであると判断して、惣角先生が言われた“ごじ杖”が“御信杖”の文字を当てはめることが正しいか否かを久先生と共同研究した。
その結果、伝書に書かれている御信用之手の技法内容及び大東流誕生の歴史と密教との関連等を考究してみても、惣角先生が言われた“ごじ杖”は“護持杖”の文字が正しいとの結論を引き出した。その結果、この“護持杖”は大東流独特のものであることが、後日になり明らかとなった。
数年前、筆者が久琢磨先生より「日本伝(大東流三大技法)合気柔術」の免許皆伝を許された(昭和52年11月)時、他の口伝とともに“護持杖”の教伝を受けた。このとき初めて、その定型と定寸を知らされたのである。この時点で“護持杖”は“同心杖”及び“吾杖”のいずれにも属さないものであることが明らかとなった。久先生も「僕も君ほどの関心を持っていたら、旧会津藩時代からあったものか等尋ねたものを」と残念がっておられた。(コラム終り)


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