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大東流護持杖之事

昭和11年6月、武田惣角が自ら大東流を指導するために朝日新聞社道場を訪ねて来たとき、惣角は鉄杖を携帯していました。このときの逸話「・・・我こそは大東流合気柔術の総務長、武田惣角源正義なり、と腰の脇差しに右手をかけ、左手の六尺余の錫杖(しゃくじょう)をジャラジャラと突き鳴らしたときは、さすがの守衛長も平身低頭して迎え入れた。」と久琢磨はかなり脚色して書いていますが、この鉄杖に関しては皆伝技法だったため、「意識的に『六尺余の錫杖』と記載し配慮したのだヨ」、と鶴山先生に説明しています。

その後、昭和52年11月3日鶴山先生に免許皆伝を許した際の口伝の一つとして、大東流護持杖(ごじじょう)の定寸・定形・技法の三態の教伝を受けた、とのことです。先生のメモによると、
 1 刃は菱形で武田菱である。
 2 鋳造品である。
 3 刀に対し十分対応できる。
 4 指揮棒の役割もした。
 5 合気杖とは、技法が違う(技法は五か条である。) とあります。
惣角が護持杖携帯していたのは、初回のみだったそうです。

護持杖

写真 右は護身杖道に掲載された図、左が鶴山先生のオリジナルメモ

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