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再び柳生流躰術について5-柳生十兵衛三厳-

○十兵衛の研究の目的はあくまで無刀取りにあった。そのため、祖父石舟斎の門人を訪ね教えを請い、資料を集めた。十兵衛の門人は1万余といわれ全国から集まったようだ。その門人たちの内、柔術や小具足に通じている者からも教えを受けている。

○柳生は、9世紀ごろ藤原氏が治め、11世紀ごろ菅原氏を名乗り、その後平氏に改めた経緯があり、その家系から、南朝系や豊臣方の残党にも受けがよかった。特に旧豊臣方の浪人を含め、小具足・柔術に関する情報は奈良に居た方が集めやすかった。また、旧豊臣方では、仕官が難しかったこの時代、氏素性と内容格式の高い者は宗矩を通じて、諸大名にどんどん推薦され売り込まれたのだ。このことは、口コミで広まり十兵衛のもとに全国(関東以北を除く)から、人が集まったのである。

○無刀取りの研究のためだけに、全国から1万余の門人を集めたのではない。元豊臣臣下であった、例えば加藤清正・藤堂高虎(東軍であっても警戒は怠らない)らの内部情報(表向きのものは、正式機関を通じて入ってくる)を収集していたのではないか。また、実地調査には、隣国の伊賀者を使ったようだ。これらに必要な資金は剣術研究のため、として江戸から支給されたのである。

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