シェア
juzen
2020年12月20日 06:47
ところが、盛平はこの約束を破ったのです。大正14(1925)年から竹下勇海軍大将ら海軍関係者からの要請で何度か上京し、関係各所で指導していた盛平は、昭和2(1927)年には大本教から離れ武道家として東京に進出したのです。惣角からは入門者1人につき10円の謝礼を取るよう言われていましたが、生活の面倒をみてもらっていた大本教の一般信者からは謝礼を取りにくかったことは想像に難くないし、東京で指導し