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juzen
2020年12月16日 06:37
これは植芝盛平と武田惣角のそれぞれの後継者たちの反目の原因となっている金銭問題のことです。ことの発端は、大正11(1922)年4月植芝盛平が武田惣角を京都府綾部の大本教本部に呼んで合気柔術の指導を受けた際の謝礼の行方にあります。当時の大本教文献によると惣角に支払われた謝礼金は4~9月までの半年間で4,000円(≑1,600万円、小学校教員の初任給を基にすると1円は現在の4,000円の価値(三