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謝礼問題

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謝礼問題とは、植芝盛平と武田惣角のそれぞれの後継者たちの反目の原因となっている金銭問題のことです。盛平は惣角を大本教本部に招聘し初めて江戸柳生系合気柔術の指導を受けました。この時…
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#出口王仁三郎

謝礼問題3

謝礼問題3

ところで、青年武芸者であった盛平(当時39歳)を有名にしたのは王仁三郎の指導と後援によるものでした。王仁三郎が武道導入に熱心であったのは、護身術が必要であったという現実的な理由の他に、大本教の信者に対し植芝の武道が大本の神が降臨してもたらされた神秘の武術というコンセプトで、宗教と抱き合わせの普及をもくろんでいたからです。王仁三郎は日本の古い宗教と武道に密接な関係があることを知っていてこれを利用しよ

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謝礼問題1

謝礼問題1

これは植芝盛平と武田惣角のそれぞれの後継者たちの反目の原因となっている金銭問題のことです。
ことの発端は、大正11(1922)年4月植芝盛平が武田惣角を京都府綾部の大本教本部に呼んで合気柔術の指導を受けた際の謝礼の行方にあります。

当時の大本教文献によると惣角に支払われた謝礼金は4~9月までの半年間で4,000円(≑1,600万円、小学校教員の初任給を基にすると1円は現在の4,000円の価値(三

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