術野に衝撃を受けた私

前回からの続き

手術を終えてた私は、日々の処置で、自分自身の術創の手当は見ていた。

興味があったのだと思う。

対して怖いとかもおもわずに興味津々で看護師さんのする処置をみていた。

しかし、術野の写真となるとわけが違う。

ちょっとだけ、ドキドキしていた。怖さににた気持ちもあったけど、関心の方が強かった。

写真は3枚ほどあった。

そこにあったのは…私の『股関節』の写真。

開創器とドクターの手で『ぱっくり』と開いている。

そんな印象を当時、中学生の私は受けた。

そこから一気に身体ってどうなってるんだろう?そして、私の身体に何が起こってて、どうなっていくのだろう?そんな疑問にも近い興味みたいなものがフツフツと湧いていた。

身体のことをもっと知りたいな。

自然と看護の世界に憧れていった。(憧れの対象が医師ではないのはきっと、沢山の看護師さんがいつも寄り添っていてくれたから)

中学を卒業する、それは、進学を意味していた。

施設では車椅子で日常生活を送っていたので、外の世界では、それが困難だということで、それなら、と提案されたのが、杖歩行。

普通高校へ進学する条件は、杖歩行で登校すること。ということだった。

高校側にはその許可をもらい、無事合格した高校に杖歩行で登校。

3年間の高校生活が始まった。

『杖歩行』のはずだったが、そこは、思春期の女子…。心理的にささやかな抵抗もあり、その約束は徐々に自己都合撤回されていく。


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