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大雨のち晴天のち曇り

さてさて、前回の記事からしばし時間が経ってしまいました。

仕事を終え、家事(と言うほどのこともないけど)を終えて、残していた課題というか日々のタグを片付けて、寝落ちしていました。

前回の記事にも書きました。

股関節の病気に罹患していた頃。小学生から中学生への変化の時でした。

今ではもうこの世にはいない、近所でクリニックを営みつつ、施設を運営していた医師との出会いのおかげで、無事病名が付き、施設へ入所。

重度の心身障がいを抱える、見知らぬ方たちとの共同生活に強制的にぶち込まれたわけで。

思春期のわたしには、なかなかにショッキングな事もありました。

この、口から生まれたと言われるほどのお喋りさんが、しばらくは喋れなくなったくらいですから、相当な衝撃だったんだと思います。

でも、すぐに打ち解けました。

奇跡が起きたわけではなく、純粋に友達になれた。という事です。

私からつくった壁は、ピュアに話しかけてくれる身体にはそれぞれの不具合もあって、言語の聞き取りにくさや、会話の理解のスピードが違っていたり、したけれど。

そんなことも全てが丸っとオッケーになるくらい、皆は私を受け入れてくれていました。

偏見…とはちょっと違うけれど、①初めましての環境、②自分の置かれている状況がわかっていない。③話し方も身体の形も歩き方も異なる個性豊かな集団に放り込まれた。④自分の病気への不安

そんな要素が折り重なって、一旦私は《話さない》という手段を取って、自己防衛を測ったのでした。

それから間も無くしてから股関節の手術を行い、1週間安静の後、荷重をかけずにリハビリ、そして、牽引で罹患部位の安静を図りながら治療を続けていました。

当時のレントゲン室の先生から、自分の足の手術の写真を見せてもらえることになり、それを見た瞬間、入所の時とは異なる衝撃を受けたのです!


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