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【たましゐ(魂魄)】 生まれ変わる 生まれ変わらない 【たかまのはら(高天の原)】

「たま(魂)」 と 「しゐ(魄)」

 人の意識・精神を「たま(霊)」というが、これは太陽をその源泉とする「たま(魂)」という陽属性のエネルギーと、太陰(月)を源泉とする「しゐ(魄)」という陰属性のエネルギーが結合することで成る。
 この結合を「たまのを(霊の結・霊の緒)」と呼ぶ。

たまとしゐ【魂と魄】・たましゐ・たましい【魂魄】(やまとことばのみちのく)

<引用元>


 また、「しゐ(魄)」とは『殻(物質・肉体)の源となる陰属性のエネルギー』であり【身/肉体/殻】の意味ともなることから、「たましゐ(魂魄)」=【魂(意識)+魄(肉体)】=「個体としての人」という捉えかたもある。

<参考>


 人も他の生物と同じで、生きようとする本能・種を残そうとする本能があり、それらは様々な欲求として発現するので、欲を捨てなさいと言われても、そう簡単に捨てられるものではない。欲を捨てなきゃ捨てなきゃと思い詰めて、無理を重ねてしまうぐらいなら、むしろ欲など捨てることはない。


 ひたすら欲望の赴くまま、あれもこれもと、あまたの欲を貪り尽くせば、おのずと、もう欲などたくさんだと感じて、誰よりも先に無欲になれるかも知れない。たとえ、生きているあいだは無欲になれなくても、臨終の際に、間に合えば、成仏できるのだろう(……実は、それより後でも、成仏できるのだが)。


 しかし、私は欲深いから、臨終に至って、なおも欲を捨てきれず、必然、この世にいくつも執着を残したまま浮遊するか、もう一度、人に生まれ変わってこようとするだろう。とは言え、ことの次第によっては、他の惑星上に生まれ変わってくるかも知れない。


 死した後、どのように生まれ変わるかは、おのれの判断ひとつなのだそうだ。転生するに相応しい母胎を、自分の方針に沿って選ぶことが大切。


 ここで、もしも気が変わって、生まれ変わらず、宇宙の根源に還る(成仏する)ことにするのなら、いろいろな過程を経る中、淡く鈍い光とではなく、恐れを棄てて、幻惑されるほど強烈に眩い白光(たかまのはら)と、同化して溶け込んでしまうよう、踏み出してゆくのだそうだ。

幻惑されるほど強烈に眩い白光におのれの一切をゆだねる

 このとき、もはや肉体は無いのだから、恐れることだって、もう無い。