【短編 G Story】 懺悔
私の教会には懺悔室がなく、罪を告白したいという信者の話は礼拝堂のすぐ隣にある、この小さな書斎で聞くことにしている。
約束の時間ちょうどにドアをノックする控えめな音がして、
「どうぞ」
その青年は静かに入室すると、礼儀正しく頭を下げた。
私は彼をソファーへと促し、自分の席を立って、お茶を飲みますかと尋ねた。青年は、とんでもないという動作をして見せてから、いつまでも座らないで背筋を突っ張っている。
「ははは。気楽になさい」
先に腰掛け、手の平を広げて、どうぞ、と言った。青年は小さく頷いた。そのとき一瞬、私の左手に目を遣った。
「あの、実はぼく」
「慌てないで。神に真実を告げる準備はもうできたのですか?」
「……。ええ、そう思います」
生真面目な青年であることは良く知っている。私の教会に小さいころから通っているから。ご両親も敬虔なカソリックで、もちろん毎週日曜の礼拝を欠かさない。青年の兄弟たちも一緒に連れてきてお出でだったが、成長されてからもこうして教会へ通い続けているのは、この青年だけだった。
「懺悔を希望されたのは、初めてですね」
「はい」
「いつでも、あなたの心が開いてから、落ち着いて罪をお告げなさい」
「わかりました」
良く似ていると、私は驚いていた。子供のころには気が付く由もなかったが、いまでは年恰好が近いこともあって、どうしても懐かしいあの顔を思い出してしまう。そして疾うの昔に、私はもう、あの思い出を打ち消そうとする努力をしなくなっていた。
そこの生活では、あらゆることが俗世間とは乖離していた。当時は、現在とは比べものにならないほど、厳しい戒律がすべてを支配していたのだ。聞くところによると、いまはテレビを見ることが許されているらしいが、私はあまりの違いに思わず苦笑してしまったほどである。
聖ドメニコ男子修道院は、能登半島の先端にほど近い珠洲というところにあった。私はそこで、約五年間の修練生活を送っていたことがある。大学の神学科に在籍していた私は、本当は神父ではなく終生に亘って修道士として人生のすべてを神に捧げる決意をしていたのだった。
毎日午前三時に起床した。それから明け方のミサまでは祈りと聖なる読書の時間だった。
原則として祈りと讃美のほか、声を使ってはならなかった。沈黙が修練の基本だった。許された場合以外、一切の会話は禁止されていて、必要最小限のコミュニケーションはメモ書きでのみ認められた。
この青年の美しい顔は、私と同じ有期修道士だったマウリツィオ村岡とよく似ているのだ。あのとき、一緒に修練していた同期生の一人である。
数分間黙っていた青年は、
「ぼくは、男の人を愛してしまいました」
唐突だったが、穏やかな口調で切り出した。
「それで?」
「その人と、もう何度も、結ばれています」
「同性と交わることが神の教えに背くことを知っていましたか?」
「はい。知っています」
「で、その男性とは、いま……」
私の言葉を--、
「いまも愛し合っています」
--遮断するように青年は顔を上げた。
「では、神の許しを請うのですね?」
「……。神父さま。なぜ神は同性を愛してはならないと言われるのですか?」
「神に質問することはできません」
「でも、でも、ぼくは、どうしてこれが罪なのかが理解できません」
「………」
「納得できる罪なら、いくらでも許しを請います、しかし……」
私も、かつてまったく同様の疑問で悩み抜いたのだ。
ミサは朝と昼、労働の時間を挟んで行われた。私は主に屋外に出て農作業と牛の世話をした。マウリツィオ村岡は、畑で収穫した林檎と梅の実をジャムに加工する仕事を任されていた。努めは別々だったが割り当てられた個室が隣り同士で、自動的に食事の座席も隣りになっていたのと、図書室で顔を合わせる機会が多く、お互い沈黙の日々の中でも次第に友情を育むことができた。
私は、青年の問い掛けに対してすぐに応えることができなかった。戒律に従って厳しく自分を罰したものの、果たして罪を納得していたのか、と言えば、そうではなかったからだ。もう老人と呼ばれても良い年齢になったのに、そして多くの信者たちから神父さまと慕われる立場にあるというのに、私は自分が神に正しく仕えていないことを、まだ苦しみ続けていたのだ。
「ははは。あなたに話すのが初めてですよ」
思い切って、私は左の手の平を大きく広げ、
「ご覧なさい」
誰にも敢えて見せたことのない、過去の古傷をさらけ出した。
青年は不思議そうに尋ねた。
「神父さま。ぼく、前から気づいていたのです。その、手の傷って……?」
「これはね……」
夕べのミサが終わると、食事のあと有期修道士たちは自室に籠りそれぞれの方法で神と向き合って過ごした。祈る者。聖書を読む者。瞑想する者。文章を綴る者。私は思索を好んだ。その一日の内に湧き上がった疑問を考え尽くす。自答できることなど、ほとんどなかった。私はときに神が理解できなくなった。神はどうして私の心に“このような衝動”を植え付けられたのか、と。
あるころから、毎夜のように、私の隣室からすすり泣くような祈りの言葉と、痛々しい鞭の音が聞こえるようになった。その神の叱責とも思えた音は悲しみに満ちていて、しかも私にもまた、その怒りの電撃は伝わっていた。自分自身が打たれているように感じたのだ。いたたまれなくなった私はある日、隣室のマウリツィオ村岡にメモ書きを渡した。
〈なぜ、あなたは毎晩ご自分を鞭打たれるのですか?〉
〈それは、きっとあなたもご承知ではありませんか、ベネデット上浦?〉
私は、ハッとした。返事のメモを渡されたときの、あのマウリツィオ村岡の眼差しが、本当の答えを意味していたことに気付いたから。彼は私と同じ性の指向を抱えていた。そして、それは神に一生を捧げる者として、決して歩んではならない道とされていた。
同じ日の夜から、私も自分の手の平を鞭打った。毎晩毎晩、それは続いた。隣室の彼と同じように。皮膚が裂け血が流れても、私は拭うこともしなかった。その傷口を目掛けて、私はなおも執拗に鞭を叩き付けた。恐ろしいほどの激痛に歪みそうになる表情を鏡に映しながら、私は鉄仮面をかぶったように微動だにさせなかった。己に課した処罰を己で苦しむことさえ罪に加算されるからだ。
私たち二人の、苦悶を押し殺す唸りにも似た祈りの声は、乾いた鞭の音と交錯して、暗く冷たい修道院の石壁の廊下を密やかにこだまして渡った。
「なぜ、神父さまは、その彼と同じように自分を鞭打ったのですか?」
「分かりませんか?」
神が私に与え賜うた試練なのだろうか、と、私は常々考えていた。どうして私は男性を愛してしまうのだろう。いつまで経っても答えは出なかった。
だが、きっと彼は正しい道を選んだ。望んだ通りに人生を定めたのだ。いや、神がそうお定めになった。
五年間の修練期間を経て、有期修道士たちにはある選択肢が示される。正式誓願を立てて終生修道士になるのか、それとも修道院を出て、個々に相応しい行く末を進むのかである。私は残って人生のすべてを修道士として捧げようと決意していたのが、思い通りになる訳けではなかった。修道院長からのお導きに従うことが慣例となっていた。つまり、修道士にも適性が問われるのである。
私の場合は、
「ベネデット上浦。あなたの地上での役割は、同じように苦しんでいる多くの人たちを癒すことだと思います」
と、修道院長から柔らかな言葉で諭された。何度お願いしても答えは変わらなかった。
別々の道を行くことになって、私はマウリツィオ村岡と最後のメモ書きを交わした。
〈二度とお会いすることはないかも知れませんね。どうかお元気で。私はあなたと共に自分を鞭打った日々のことを絶対に忘れません〉
〈ああ、ベネデット上浦。私の魂は”神のもの”となりましょう。しかし、あなたの心の中では、こうありたいと念じます、いつまでも、いつまでも……〉
「そして結語として”SINCERELY YOURS”、村岡正秀と書いてあったのです」
「敬具という意味でしたね?」
「ははは。直訳してごらんなさい」
「ええと、誠実に、純粋に、”あなたのもの”、ですか?」
「いまでも大切な宝物なのですよ、あのときの“手紙”は」
「じゃあ、神父さま、も……」
「そうなのです。私たちは相思相愛だった。……でも、そろそろ苦しむのもやめましょうか。あなたに告白したら、いや、神に……ということになるのでしょうかな。はっはっは。気が楽になるものですね、あっはっは」
私はこれまで、こんなに楽しく笑ったことがなかった。
(了)
(2005 7/30)