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グローバリズム vs 反グローバリズムの二元対立は 超支配勢力の内部抗争である

 超支配勢力[偽ユダヤ国際金融資本=超カネ持ち自称貴族似非エリート]は、金融業で蓄えた莫大な富と、その莫大な富の力で築いた貴族階級ネットワーク(金の力に物を言わせて思い通りに造った社会干渉システム)を駆使し、概ね16〜17世紀以降の欧州を中心にした歴史の要所を、背後から操縦してきたとされています。

 超支配勢力による支配拡大の方法論(theory)は単純です。

① 敵対する二元構造[A/B]を組み立てる
②[A/B]双方への投資・情報提供・人材育成をおこなう
③[A/B]を厳しく対立させる【正 vs 反】
④[A/B]のどちらか勝利した側を制御して支配領域を拡大する【合】

 現在、超支配勢力の主流として、強権的な世界政府を樹立し、統一された世界法規・世界標準・世界理論のもと、個々に存立している数多の国家主権を一括で預って管理してゆこうと(グローバリズム)、なりふり構わず邁進しているのが世界経済フォーラム系統の超支配勢力(主宰:クラウス・シュワブ)で、私は、この一派を『WEF派』と呼んでいます。

 超支配勢力の内訳は謎ですが、ロシアと中共も、広義には超支配勢力側であるものの、現状においては超支配勢力・主流であるWEF派のグローバリズムに対して背を向けており、ひどく叩かれている最中だ……ぐらいに考えておくのが良いのではないでしょうか。

 トランプ氏も同様に、超支配勢力の反主流派のひとつで、変わり種であるために疎まれているのだと見ておくのが良かろうと思います。それも、やはりWEF派のグローバリズムに迎合しないからであると。

 つまり、グローバリズム vs 反グローバリズムという二元対立は、超支配勢力とアンチ超支配勢力ではなく、超支配勢力というコップの中の争いであるということです。言い換えると、超支配勢力の中の内部抗争が、グローバリズム vs 反グローバリズムという二元対立なのです。

 WEF派・グローバリズムが推進する世界政府は、意図的に独裁色の強い『左派全体主義』を露骨に打ち出しており、まさしく、これから顕在化して巨大問題となってゆく『💉接種による人類史上最悪の大薬害事件』も、悪魔的な人口削減プランを実行に移している事実と合わせ、WEF派・グローバリズムが、将来、反グローバリズムに打倒されるシナリオに沿って起こされていることだろうと、私は考えています。

 前々段で述べたように、グローバリズム vs 反グローバリズムという二元対立は、超支配勢力内部の抗争であって、超支配勢力そのものは、いずれにせよ世界政府を樹立するプランを持っているのです。グローバリズムか反グローバリズムかの違いは、世界政府のあるべき姿として計画されている最終型が異なる点にあるのだろうと、私は思っています。

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 反グローバリズム側が、どのような世界政府の型を描いているかは、全く定かではありませんが、2020年頃に話題となった『NESARA・GESARA(ネサラ・ゲサラ)』が、ひとつのヒントになるのかも知れません。

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 現時点における私の直感的洞察では、上述のように、独裁色の強い『左派全体主義』を露骨に打ち出すWEF派・グローバリズムが、アンチテーゼである反グローバリズムに打倒される華々しいドラマ展開で、世界民衆から歓呼の声を浴び、救世主を崇めるかのような大歓迎を以って、新しい世界政府を伴う国際秩序が形成されるシナリオが、実は、用意されていて、それに沿って、今後の歴史が描かれてゆくような気がしているわけですが、肝心なのは、結局のところ、
「なんだ、やっぱり超支配勢力が画策しているストーリーに過ぎないじゃないか」
という疑問が残ることです。

『その結果、できあがる世界政府って、大丈夫?』
『うまく騙されちゃうだけなんじゃないの?』

 なので、私は、正反〜善悪の二元対立を超越し、
「こっちはいいけど、あっちはだめ」
といった二者択一で物事を考えるクセを、できるだけ少しずつ、なくしてゆきましょうと、そういったところまで言及してきたのです。なかなか難しいんですけどね。

 要するに、現在〜将来に亘って展開してゆくであろう、グローバリズム vs 反グローバリズムという二元対立を、ちょっと離れた場所から俯瞰して見る感じで、あたかも、小学生の我が子の運動会を保護者として参観しているかのように、

『赤、勝て!』
『白、勝て!』

どっちが勝っても負けても、一喜一憂することのない心境に達しておく、というのが、超越するっていうことなのかなと。

 上手く表現できなくて、申しわけありません。

 究極的には、自分が日本人であることを忘れずに、また、私たちの祖先から連綿と、日本という『クニ』と強い縁で結い集うて、ずうっと繋がってきているという事実を大切にして、これからも、みんなで生きて/生かされてゆきたいと、そんなふうに、私は感じております。

 地球人類文明を維持するために、どうしても、国家を超えた枠組みが必要であるのなら、統一された世界法規・世界標準・世界理論のもと、個々に存立している数多の国家主権を一括で預って管理してゆくのではなく、まず人柄、そして国柄を重んじ、それぞれのありのままを大切に、長らく継承されてきた文化・伝統・習俗を未来永劫、おのおのが誇りを持って伝え続けてゆけるような、おおらかなる『大調和の世界共同体』を形成してゆくことができれば、いちばん良いのでしょう。

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