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ふとまに 五十七 『百二十八 うた』の真相
#ふとまに 五十七
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*読み下し
へのこけ の
か かさは ちたひ
をうなむち
かね も かしろ と
ねる や こけらん
*書き下し
侍の転けの
赤 高さば 垂ひ
大己貴(ヲウナムチ)
金も赤・白と
錬るや 転けらん
*語意
へのこけ【侍の転け】
臣下の失脚・転落
か【赤・華】
豪華・華美であること
かす【高す・和す】
高まる 勢い付く 栄る 中心にある
ちたひ【垂ひ】
「垂ふ」の名詞形 衰退 陰り 勢いを失うこと
をうなむち【大己貴】
大国主 (おおくにぬし)
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かね【金】
金属 はがね(鋼)
かしろ【赤白】
赤金(銅)と白金(銀) 赤と白
ねる【錬る】
金属を精錬する
こく【転く】
柔らぐ 柔軟性が生まれる 静まる 果てる
*意訳
臣下の失脚・転落と言えば、豊かな国作りを成し遂げられる優れた統治の才を持ちながらも、大物主の地位と絶大な特権による慢心から、豪華に過ぎる『みやどの=宮殿』を誇示し、中央政府から目をつけられ、結局、国譲りを迫られて失脚し、日隅国(青森・津軽 アソベのアカル宮)へ左遷させられた大己貴(をうなむち)=大国主 (おおくにぬし) のことを思い出す。
硬い金属も、銅や銀を混ぜて精錬することで、しなやかさ・柔軟性が生まれるものなのだが。
*十楽註
有名な『出雲の国譲り』の経緯を背景に、言わば『大己貴(をうなむち)=大国主 (おおくにぬし)』との思い出を綴っている内容の「うた」が、どうして、この『ふとまに 百二十八(ももふそや)うた』の一部となっているのか、よくよく考えると、この『ふとまに 百二十八 うた』という歌集は、おそらく『ほつまつたゑ』が編纂されたのと同じ頃(若しくはその後)に、『ほつまつたゑ』と一体を成すものとして ”書き添えられている” ことに気づきます。
つまり、
① もともとの『ふとまに』に歌集は添付されていなかった、
② もともとの『ふとまに』は、四十八あるヲシテ文字=やまとことは四十八音のひとつひとつに宿る『ことたま』を ”解析” し、その霊力を読み取って、天の御声(あめのみこゑ)を感知する精神的行為だった、
③ 後代になって(おそらく『ほつまつたゑ』編纂と同じ頃に)『百二十八うた』が付け加えられ、現在の ”おみくじ” の原型のような位置づけとなった、
という流れなのだろう、と。
なぜなら、『ほつまつたゑ』の、まさに『出雲の国譲り』について記している『天の巻・十 かしまたちつりたいのあや(カシマ治ち 釣鯛の文)』の中に、この『ふとまに=もとあけ』……
![](https://assets.st-note.com/img/1643204613274-qM07RIVvFE.jpg?width=1200)
……を、用いて占いを行ったとの、重要な記述があるからです。
フトマニの "シチリ" は家漏り
激しくて 西北隅の国
見せしむる ヨコヘ帰りて
申さくは 「イツモ八重垣
オホナムチ 満つれば欠くる
理か 額を "玉垣
内宮" と これ九重に
比ぶなり」 ・
![](https://assets.st-note.com/img/1643205720929-2xKBl5DOU4.png?width=1200)
フトマニとは、人知が及ばない問題の答えを天上の神にお聞きする占いの方法です。
天上世界は、アウワの神(アメノミナカヌシとクニトコタチを一体化した神)を八元神が囲む元元明けが中心をなし、その周りを八並神が囲み、更にその外周を十六組の三十二神が囲んでいます。これを『サコクシロ』と呼びます。
フトマニの卦は八並神(ア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シ)の一音と、二音ずつ十六組にまとめられた三十二神(ヤマ・ハラ・キニ・チリ・ヌウ・ムク・エテ・ネセ・コケ・オレ・ヨロ・ソノ・ユン・ツル・ヰサ・ナワ)の三音で表され、百二十八通りの卦があります。
シチリは百十六番目の卦で、頭音のシ神は、八元神で西北の方位・秋から初冬までの季節と水を司るメ神の支配の下で白色・生産性などを管掌する月神です。
またシ神に続くチリ神は、争い・崩壊・散逸・遺失・疾病などを管理する神で、シチリの卦は、太陽神であるアマテル大御神のイサワの宮の屋台骨を危うくする事態が、国の西北方に萌芽していることを示唆し、国家・宮を守れと強烈に告げ知らせています。
上述の ”シチリの卦” を引いてしまった『ほつまつたゑ』の場面で、占いに用いられた ”当時” の『ふとまに=もとあけ』のコンテンツとして、今回の記事で取り上げた第五十七番のうた、すなわち、この場面の ”後に” 起こる出来事である『出雲の国譲り』における『大己貴=大国主』との思い出を綴る「うた」が詠われることは、時系列が矛盾するので不可能です。有り得ません。
そうなりますと、『ふとまに=もとあけ』に集約された『超古代の宇宙観』が連綿と継承されてきた、長い永い過程の中で、後代、これと並行して『ほつまつたゑ』や、今回の記事で取り上げた第五十七番を含む、すべての『ふとまに 百二十八 うた』が編纂され、添付されてきた、というのが真相でありましょう。
【参考資料】
![](https://assets.st-note.com/img/1643205507763-AKQ8qH8VSd.jpg?width=1200)