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科学的精神の探求・あるいは便座カバー論争について

しばらくの間、愛知県の某家畜保健所で、産休の職員の代替として勤務していたことがあります。
地方自治体に獣医師として勤務していて、一番気を遣う相手は、上司や同僚ではなく、事務職の女子職員ではないかと思います。

事務職と専門職で、ものごとの捉え方が違うために、いろいろな齟齬が生じます。それは「土俵が違う」ので、なかなか埋められない深い溝です。私の勤務先は、愛知県で最も牛・豚の飼養頭数が多い地域でした。

この職場には主査と経理担当の二人の女子職員が配属され、あとは獣医師ばかり約10名がいました。
初日に出勤して、トイレ掃除についての説明を受けました。

便座カバーについての説明もあり、「便座カバーは、週末に掃除を担当した者が、『自宅へ持って帰って』洗う」ということでした。
最初に掃除をして、便座カバーを取り付けると、経理の女子職員が私の机へやってきました。

「似内さん、ちょっと。」
「はい、何ですか?」
「あのね、付ける便座カバーが、間違ってるの」
「?」
「ここの便座カバーはね、O型でないとだめなの。全部覆わないと寒いでしょ。U型はあるけど、使わないようにしているの。」

次の掃除の後、また同じことがありました。「似内さん、ちょっと。」
「はい、何ですか?」
「便座カバーの取り付け金具が、ゆがんでいるわよ。」
「・・・・・・。」
OL経験のある方はご存知ですよね。

職場に必ずこうした「私ルール」を決めて押し付ける人がいます。そのルール、根拠は全く謎で、ただ押し付けるためにあるとしか思えないものがほとんどです。

いい加減うんざりしたので、その週は便座カバーを職場の洗濯機で洗って、週明けに物干しに干しておきました。職場には洗濯機が2台あって、どちらも屋外の採血などで使ったカバーオールや作業衣を洗うようになっています。便座カバーを作業着と一緒に洗うわけでなし、まあいいか、と思ったのです。

速攻、来ました。

「似内さん、あなた便座カバーをここの洗濯機で洗わなかったでしょうねっ!」

なんか、これはまずいと思って、
「あ、それは自宅で洗ってきたんですが、まだ半乾きなので、日に当てた方がいいと思って、外に干したんです。」
「そう、それならいいんだけど、絶対に作業着とかと一緒にしないでね。」


中札内・ピョウタンの滝

要は、こういうことなんです。

「私たちのきれいなお尻があたるところに、豚や牛のところへ行ってきた汚れをつけないでね。」

それなら、こういう可能性はどうですか?

私が家へ便座カバーを持って帰って洗う。
しかし、専業主婦でないので、忙しいのです。

当然、洗濯はまとめてする訳で、その中に、当時1歳半だった幼児の排泄物が混じっている可能性も少なくないのです。
職場の洗濯機で、便座カバーだけを洗った場合と、どちらがきれいなんでしょうか。

それと、あまりきれいでない話で恐縮ですが、本人が汚す場合だってあるでしょう。
それを判定する方法はあります。

家で洗った便座カバーと、職場で洗った便座カバーをしばらく寒天培地の上に載せ、その後2,3日培養して菌の量を数をカウントするのです。これで論争は終わります。培地はトリプトソイ・アガーなどが適当かと思います。
でも、それは言いませんでした。
こういうタイプの人は、「牛や豚は不潔」「家で洗ったものは清潔」と思い込んでいるからです。

同じ職員でありながら、「汚いところへ行って、汚くなって帰ってくる」と思われている同僚や上司たちも気の毒に思えました。

こうした末端領域において、科学的思考法の普及はまだまだ遠いものがあります。「あなた方のお尻って、そんなにきれいなんですか?」と言いたい気持ちを抑えていました。

ちなみにタイトルは、マルクス主義社会科学者、戸坂潤の著書のタイトルから借用しました。

似内惠子(獣医師・似内産業動物診療所院長))
(この原稿の著作権は筆者に帰属します。無断転載を禁じます。)


似内のプロフィール
https://editor.note.com/notes/n1278cf05c52d/publish/
オールアバウト「動物病院」コラム
https://allabout.co.jp/gm/gt/3049/

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