見出し画像

父のこと

私の両親はどちらも理科系で、技術職だったということは、以前どこかに書きました。
彼らは私が15歳のときに離婚しましたが、理科系頭というところは、恐ろしく似通っていました。
今から思えば、そうでない方がよかったのかもしれません。
父は旧制五校(今の熊本大学)から京大の機械工学科に入り、しばらく大阪の私立高校で数学の教師をした後、京都に本社のある電機会社に入社しました。ずっと技術畑の人でした。

一番反応が技術屋らしいと思ったのは、私がある男性に振られたときです。
当時すでに両親は別居していたので、私は何かなぐさめの言葉でも、と思って父の家に行きました。
話しながら、しくしく泣いている私に向かって、父が言ったのは以下のような言葉です。
「いい加減にしなさい!」
「お前は私に何をして欲しくてここに来ているんだ。」
「え....それは.....」
「別れた男のところに行って、娘とよりを戻してくれと頼んで欲しいのか?」
「そんなことまでは.....」
「こんなところで泣いてても仕方がないから、どうすればいいのか言いなさい!」
私はただ話を聞いてもらおうと思っていたのですが、女性的な対応をこの人に期待する方が無理でした。理科系の人間ですから、
問題 →解決法のリストアップ →解決法の選択
という図式が固定されているようでした。


本当に男に会ってくれと言ったら、彼はそうしたと思います。
さすがにそんなことは頼めませんでした。
しかし、彼は役に立つことも言ってくれたのです。
「俺のような人間でも、学生時代に付き合う女性は何名かいたし、ずっと相手がいないということは絶対にない。だからお前もすぐ相手が見つかる。」
これも正解でした。結婚もできたのですから。
彼は定年で退職しましたが、退職してから一緒に食事に行っても、すぐウエイトレスさんに注意をするのでとても恥ずかしかったです。
「なんでここは片付いてないの?」
工場で、気のついた問題点をチェックする癖が抜けていないのです。
しかし、自分がある程度責任を持つ仕事について、これは必要なことなのだと思うようになりました。

現場の注意は、その場で、気づいたときに、担当者に直接言うということはとても大切なことです。父は現場の事故を減らす習慣がついていたのです。


先日マクドナルドで、長蛇の列ができているのに、レジが1つしか開いていませんでした。
注意してしまいました。
「なんでレジを開けないの?」
「すみません、スタッフがいなくて・・・・」
「これだけのスタッフがいたら、もっとレジができる人を増やさなければ。こんなにお客を待たせるのはどんなものでしょう?システムが悪いのでは?」
こういうとことは親の子です。

【画像解説】これは父がヨーロッパ出張の際に撮影したものです。バチカンのサン・ピエトロ寺院の噴水のところで撮影しています。海外に行きにくい時代でしたが(今もそうなっていますが)一か月の出張をさせてもらったそうです。よく見ると父は煙草を手にもってるので、昔だなあと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?