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歴史の岩戸開き(29)~なぜスサノオノミコトは高天原で暴れたのか?

山蔭神道80世継承者である表博耀(オモテ・ヒロアキ)氏が最近『縄文の世界を旅した初代スサノオ』という著書を刊行されました。

(Amazonより転載)

著書の中で述べられている「三貴子(アマテラス・ツクヨミ・スサノオ)」の世界史的流れは以下のようになります。

アマテラス・・・朝鮮半島に渡り、インドを経てパミール高原をめざした。
ツクヨミ・・・ユーラシア大陸に渡り、黒人根国(中央アジア)で月氏族となった。その流れから大月氏、小月氏が生まれた。
スサノオ・・・太平洋地域、北米大陸、ユーラシア大陸を回り、世界文明(チグリス・ユーフラテス、エジプト、インダス、黄河など)の礎を築いた。白人種(アーリア人種)はスサノオの子孫。

ここであらためて確認しておく必要があるのは、アマテラス、ツクヨミ、スサノオはいずれも親神様の分霊であり、元の元は一つであるということです。
いずれの神さまも地球に楽園(ユートピア)を創るという共通の目的を持っており、それぞれのお役目を果たしているということです。
ですので、どれが正統であり、どれが正統でないのかということはなく、元は一つであり、いずれも親神様の分霊であるということです。

正統・非正統にこだわる人は、一本の大樹から分かれた枝葉を見て、どの枝葉が正統でどの枝葉が正統でないのか、と言っていることと同じで、人によって枝葉の趣味嗜好があって「この枝ぶりがどの枝葉よりも美しく正統である」とか「いや、こちらの枝葉のほうが生い茂っていて力強いので正統である」とかあるとは思いますが、「いやいや、どれも同じ一本の大樹ですよ」ということです。

ところが強烈に「自分(われわれ)は他人とは違う」「自分(われわれ)だけが神から選ばれた民である」と考えた一派がいて、この流れの裔(すえ)に戦争屋やDS(ディープステート)と呼ばれる人たちがいます。

この問題はかなり根深く、じつは彼らの主張にも正統性があるわけですが、そのことを理解するためには彼らの存在の根源がどこから来たのかを知る必要があり、それを説明するには、きわめて難解な秘教科学的な考察が必要となるので、ここでは詳細を省きます。

たしかに彼らの意識構造は特殊であり、一般の人には理解しがたいものなのですが、彼らを外から非難するだけでは問題の解決にはならず、彼らを内側から理解することが必要なのです。それが『日月神示』がいう「抱き参らせる」ということなのだと思います。

スサノオノミコトが高天原で暴れた理由を説明しようと思っていたら、思わぬ方向に話が進んでしまいましたが、結局のところ、アマテラス、ツクヨミ、スサノオノミコトの後世における分断と対立をもたらした原因が、いわゆる「選民思想」にあるので、そのことに触れないと問題が見えなくなるということかと思います。

記事をタイトルの内容に戻しますと、記紀においてスサノオノミコトはアマテラスの治める高天原で乱暴狼藉をはたらき、そのことによってアマテラスは天の岩戸にお隠れになり、その咎(とが)を受けてスサノオノミコトは高天原から追放された、というお話になっております。

ですが表氏が継承した古典神道および山蔭神道によりますと、スサノオノミコトは自然を神々の住まう神籬(ヒモロギ)として尊び自然と心身一体となって生きていた縄文文化の継承者であり、それに対してアマテラスは自然を切り開き土を耕して農耕社会を推し進めようとしたので、そのことに反対したスサノオノミコトがアマテラスの土地で激しく抵抗したということになっております。

じっさいに日本が縄文の狩猟採集社会から農耕社会に移行するまでにおよそ1000年もの長い年月がかかっており、とくに東日本で抵抗が長く続いていたようです。

そのことを学術的な調査を元に考察したのが、歴史考察系youtuberであるTOLAND VLOGさんで詳しくはこちらの動画をご視聴ください。

こちらの動画によりますと西日本から近畿地方まではおよそ100年ほどで農耕社会に移行することができたのに対して、中日本・東日本では思うように農耕社会への移行がすすまず、最終的に日本全体が農耕社会に移行するまで1000年ほどかかったということがお話されてあります。

とくに抵抗があったのが「所有」という概念で、土地は誰のものかと言えば神さまのものに決まっているので、土地を占有するとか私有できるとかという発想が神をも恐れぬ発想で到底受け入れられなかったのです。

これをスサノオノミコトの神話に鑑(てら)して考えれば、スサノオノミコトにとっては自然を切り開き農耕社会を推し進めようとするアマテラスの政策は、自然と心身一体となって生きていた縄文文化の精神性を破壊することになり、ひいては人類全体の調和を乱すこととなることを危惧して立ち上がった義挙であったということになります。

ところが後世においては「悪神」「破壊神」というレッテルを貼られて、アマテラスが正統で、スサノオノミコトは非正統ということになったわけですが、これもはじめに触れたとおり、それぞれの神様にはお役割があって、元の元は親神様の分霊であり元は一つであったということです。

それが証拠にアマテラスをお祀りする神社もあれば、スサノオノミコトをお祀りする神社もあり、どちらが正統であり、どちらが非正統であるかということに関係なく、どちらも尊い神様としてお祀りしています。これこそ超古代より継承した日本人の精神、魂の遺伝子に深く記憶されている「和合」の精神であると思います。

料理研究家の土井義晴氏は日本の食文化の特徴を「混ぜる」のではなく「和(あ)える」文化であるとお話くださっています。食材や調味料を「混ぜる」と食材や調味料が一つの味になるのに対し、「和える」と食材と調味料のそれぞれの味を残したまま、かつ全体として一つの立体的な風味をもたらしてくれるとお話されています。

また大工の棟梁も1本1本の木の特性を見きわめて、真っ直ぐな木は柱に、曲がった木は梁(はり)に使うことをしますが、これも「和合」の精神の一つのあらわれかと思います。

ご参考になれば幸いです。

頓首謹言

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