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佐伯祐三真贋事件と白頭狸先生(白頭狸先生著『京都皇統と東京皇室の極秘関係』を読む4)

第1章 「新文書」の出現(3)

前回に続き、白頭狸先生の旧著の紹介となります。
今回新たに発見された新文書は大きく分けると二つの内容となっており、

1.山村御殿での出来事
2.和歌山市の紀州徳川家での出来事

についての記載となります。
その流れで前回note記事で、平成7(1995年)に起きた「佐伯祐三絵画の真贋事件」を紹介し、事の顛末の一部始終を記録した白頭狸先生の別著『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』をご紹介しました。

と、ここで別著を簡単に紹介して終わる予定でいたのですが、読み始めてみると、別著の淀みなく展開される論旨明解なる文章と、その文章の持つ熱量にすっかり魅入られてしまい、ここ数日別著を読み耽っておりました。

当時、佐伯祐三絵画として流通していたものは、じつは佐伯祐三の妻・米子が加筆した作品で、そのことは美術界でも噂として囁かれていたようなのですが、表立ってそのことに触れる人はおらず、暗黙の了解で需給関係が成立していたようです。

ところが、ここに妻・米子が加筆していない佐伯祐三の絵画作品、いわば「真筆」が出現してしまいます。それが吉薗明子女史が所蔵していた佐伯祐三絵画となります。
吉薗明子女史所蔵の「佐伯真筆」絵画は、いったんは「真作」と鑑定され、福井県武生市に寄贈されたのですが、そこに疑義を唱えたのが東京美術倶楽部で、寄贈された絵画の一部は「贋作」であると主張して、ここから美術業界を中心に、マスコミ、行政を巻き込んでの一大真贋事件に発展することになるわけです。

とは言え、従来の流通品が妻・米子が加筆したものであったとしても、それを即座に「贋作」であると言うことはできず、妻・米子の加筆も含めて一つの「作品」として認められ、それで売り手と買い手の合意が形成されていれば、いちおうは問題ないはずですが、問題の火種となったのは、佐伯祐三の作品として流通している絵画が、妻・米子が加筆していることを隠して、それが佐伯祐三ひとりの手によるものであると偽ったところに、”綻び”が生じてしまったことになります。

以前note記事で、歴史を一つの大きな水の流れとして例えましたが、時間という名の歴史の流れは、虚飾を洗い流して、いつしか真実を露わにするもので、やはり何にせよウソというものは付き通すことのできないものであるのだなと、自分自身の経験も踏まえて実感するところでございます。

ところが恐ろしいのはここからで、あくまでもウソを貫き通す肚を決めたのが美術業界で、新たに出現した佐伯祐三絵画は稚拙きわまりない「贋作」であり、吉薗明子女史という一民間の女性を詐欺師呼ばわりして吊るし上げることで、みずからの利権を固守しようとしたところに人間の業の深さを感じずにはいられません。

しかも、相手方の真の狙いは、佐伯祐三絵画の真贋よりも、「米子加筆」「佐伯真筆」の決定的な裏付けとなる吉薗周蔵の手記および資料群の否定、ひいては吉薗周蔵の存在そのものの抹消にあり、手記や資料群の不備や矛盾点を指摘して、「佐伯真筆」もろとも吉薗周蔵そのものも闇に葬り去ろうと画策しておりました。

そこに敢然と立ちはだかったのが、ご存知、日本のホームズ、紀州の明智小五郎こと白頭狸先生となるわけですが、別著第八章「反撃」において展開される、福井県武生市が公表した「準備室報告書」の指摘した不備や矛盾点は、資料の単純な読み間違えや調査不足であることを明らかにして、ことごとく論破していくさまは圧巻で、別著のクライマックスと言える段です。

と、旧著の紹介ではなく、別著の紹介にすっかりなっておりますが、これは決して旧著と無関係の話ではなく、むしろ密接に関係してくるわけでございますが、いつもの如く字数が多くなりましたので続きは次回となります。

なお佐伯祐三の画業と生涯に焦点を当てて深く掘り下げた内容が、白頭狸先生が代表を務めておられる紀州文化振興会ブログ「天才佐伯祐三の真相」として、全13章が無料で公開されており、このブログの中でしか語られていない内容もございますので、佐伯祐三の真相に関心のある方はご一読をおすすめ致します。

(白頭狸先生のnote記事より転載)


頓首謹言











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