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「分を知る」ことが「スメラの代」の道~北海道瀬棚郡利別村河島家のルーツを辿る(8)(白頭狸先生著『京都皇統と東京皇室の極秘関係』を読む番外)

前回、前々回のnote記事では、白頭狸先生こと南光院長臈爾應法師様より賜った御示唆により、一気に古代へと遡り髙嶋姓河島家のルーツの推察を試みましたが、やや、というよりかなり駆け足で進めて参りましたので、ここで時間の針を巻き戻して近現代から近世、中世と個別の歴史事象を掘り下げながら髙嶋姓河島家の歴史を辿って参りたいと思います。

表題の「分を知る」とは、第一に「おのが職分を知る」という意味ですが、第二に世界全体の歴史の流れの中における自分自身の立ち位置、すなわち世界座標系における自分自身の座標を見定めるという意味も含まれております。

世界座標系における自分自身の座標を見定めることができれば、社会の変化や外から入ってくる情報にあたふたと右往左往することがなくなり、主体的にその変化や情報に対応することができるようになると思っております。

これからの時代における世界座標系は南光院長臈爾應法師様の説かれる「スメラの代」すなわち「一君万民の職能社会」となるわけですが、これは日本においては万古以来の國體に立ち戻るということに他なりません。

いま「立ち戻る」と申しましたが、それはそれほど難しいことではないと思っております。と申しますのは、今回、髙嶋姓河島家の歴史を調べているなかで実感しましたことは、日本という国においては「一君万民の職能社会」が太古の昔より現在に至るまで脈々と機能していることを実感したからです。ですので、ご先祖様より引き継いだ遺伝子に刻まされている、それぞれの職分職能に応じた務めを果たすことが「スメラの代」の道であると思う次第です。

人間社会における最大の宿痾は「差別意識」にあると私は考えておるわけですが、かつての身分制社会においても、現在のような四民平等の民主主義社会においても、人間社会から「差別意識」が払底しないということは、これは社会構造の問題というよりも人間の精神構造の問題であると思われ、そのことを叡慮されて神武建国の「八紘為宇」の詔が下されたのであると深く感じる次第です。

「世界はひそかに日本に期待している」とは伏見宮皇統の華頂博一様の御言葉ですが、「八紘為宇」を奉じる民の一人として日々精進することが、日本が世界に示すことのできる「スメラの代」の社会モデルになると考えております。

(白頭狸先生のnote記事より転載)

頓首謹言


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