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歴史の岩戸開き(37)~縄文日本と「お金を必要としない世界」

「お金が無いと生活できなくなる」
「今の社会はお金を中心に回っている」

それが今の社会のルールであると受け入れながらも、そのことに息の詰まるような生きづらさを感じていたわけですが、じつは世界には「お金を必要としない世界」がある、しかも、それは世界中にある、それだけでなく、わたしたちの身の回りに溢れている、ということを教えてくれた人がいます。

それがエコビレッジビルダーの山納銀之輔(さんのう・ぎんのすけ)さんです!

(Amazonより転載)

銀之輔さんは42才の時に仕事を失い、財産を失い、住む家もすべてを失うことになって、森の中で狩猟採集の生活をすることになったそうなのですが、自然の中で生きる体験をとおして、必要なものは大自然が用意してくれていて、必要な時に与えてくれる「全自動の法則」があることに気づいたと言います。

すべてを失った時に見えてきた、すべてが用意されている世界、それが大自然と共に生きることであり、「お金が無くても365日食べていくことができる世界」「お金を必要としない世界」であったのです。

わたしたちは「お金を必要とする世界」「世界のすべて」であると考えがちです。

むかし、あるお店でアルバイトをしていた時に、そのお店の店長から「お客様のことをコンチクショーと思っても心を殺して笑顔で接客するように」と指導されて、

「え? 笑顔って心からするものではないの? ”心を殺して”までする笑顔ってどんな笑顔?」

と想像して、ちょっとゾクッと寒気を感じたのを覚えています。でも、店長の言っていることは、おそらく「お金を必要とする世界」では「常識」なのだと思います。

だから「お金を必要とする世界」が世界の「すべて」だと思って頑張って生き続けていると息苦しくなるし、心が寒くなってくるし、なにが本当か分からなくなります。だって、お金のために”心を殺している”のですから。

でも、それが世界の「すべて」ではないということを銀之輔さんが教えてくれました。

わたしが世界の「すべて」と思っていた「お金を必要とする世界」の外には、はるかに大きい「お金を必要としない世界」が広がっていて、そこには天地自然の大法則、「全自動の法則」が働いていることを教えてくれたのです。

「お金を必要としない世界」に自分自身の心と生活の拠点を置くことができれば、「お金」のことで不安になったり、イライラすることがなくなりますし、ほんとうの意味で「好きなこと」「楽しいこと」「幸せになること」に全力投球することができるようになります。

なお、銀之輔さんによると「全自動の法則」「資本主義(=お金を必要とする世界)」でも働いているそうなので、「お金を必要としない世界」に心と生活の拠点を置けば、好きな時に自由に二つの世界を行き来することができるようになります。


これは、"脳と意識を探究するオカン"ことネドじゅんさん「左脳さん」と「右脳さん」のお話に構造が似ています。

左脳さん:考える脳。左脳過剰になると、ネガティブな思考や感情が勝手に再生される「自動思考」の状態になる。ストレス物質が出ているので、いつもイライラする。

右脳さん:感じる脳。右脳をとおして体全体とつながって、体全体をとおして世界全体とつながっている。半分寝ていて半分起きているような状態(半醒半睡)。いるだけで幸せの中今(なかいま)の意識。必要な答えは「肚(はら)」から浮かんでくる。縄文脳。

「お金」と「左脳さん」は、おそらく親和性がものすごく強くて、お金儲けが得意な人は「考える脳」がものすごく活発に動いていると思います。

反面、ものすごくストレスを感じていたり、お金を手にすれば手にするほど、失うことの恐怖が大きくなっていくのは、「左脳過剰」の状態になっているためと考えることができます。

同時に、それは「左脳さん」にとっては嬉しい状態で、考えてもらえれば考えてもらえるほど、自分のところにだけエネルギーが供給されるので、どんどん左脳を強化していくことができます。

そう考えると、お金を失うことの恐怖や周りの人に対する不信感などは、「左脳さん」から出ているストレス物質が原因なのかも知れません。

でも、ネドじゅんさん「オカン・メソッド」を実践することで「自動思考」がとまり、「右脳さん」とつながることができるようになります。

ネドじゅんさんいわく「右脳さんは縄文脳」とのことで、はるか昔の天地自然と一体となって生きていて、その瞬間その瞬間を楽しむことだけに全集中していた縄文人としての記憶や感覚が一気によみがえることになります。

縄文日本が1万年から1万5000年ものあいだ、争いごとのない平和な時代を続けることができたのは「お金を必要としない世界」で大自然といっしょに生きていたからで、これ以上の幸せがないほどの幸せをいつも感じていたからなのだなあと思いました。

縄文の日本人は、みんな「神さま」だったのだなあと思います。

ご参考になれば幸いです。

頓首謹言

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