歴史の岩戸開き(9)~歴史を隠した5回の「岩戸閉め」(日月神示)
歴史考察系youtuberのTOLAND VLOGさんの動画で、『日月神示』が語る歴史における5回の「岩戸閉め」についてお話されていました。
歴史における5回の「岩戸閉め」とは、
①伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の時
②天照大神(アマテラスオオミカミ)の時
③須佐之男神(スサノオノミコト)に罪着せし時
④神武天皇の時
⑤仏教伝来の時
とのことです。
この5回の「岩戸閉め」がどのような意味を持つ「岩戸閉め」であったのかは、TOLAND VLOGさんの考察動画のなかで紹介されているのですが、今回、この『日月神示』で提示されている5回の「岩戸閉め」のうち、「この岩戸閉めはこういう意味があったのではないか」と思うところがありましたので、お話しようと思います。
それは「伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の時」におこなわれた「岩戸閉め」についてです。
イザナギとイザナミは「国産み神話」の際に登場する男女二柱の神さまで、お二人で協力して国をお産みになることになるのですが、その時に不思議なやりとりが『古事記』には記されてあります。
それは天の御柱(あまのみはしら)を立てて、女性神イザナミは右回り、男性神イザナギは左回りで回ることとなったのですが、その際に女性神イザナミが「あなによし、えおとこを」と言って、次に男性神イザナギが「あなによし、えおとめを」と言ったのですが、うまく国産みができなかったのです。
男性神イザナギは「女人(おみな)が先が言ったのは良くない」と告げ、天つ神にも相談したところ、同じように「女人(おみな)が先に言ったのが原因であるので、順序を逆にしてあらためて国産みをしなさい」と答えます。
そこで、あらためて男性神イザナギから先に声を掛け、女性神イザナミがそれに次いで声を掛けたところ、無事に国産みをすることができたというお話です。
はじめに『古事記』を読んだ時は、ときに疑問に思わずに読みすごしてしまったのですが、今回、『日月神示』においてイザナギとイザナミの時に「岩戸閉め」があった、という話を聞いて、あらためて思い返した時に「おや?」と思ったのです。
それは、なぜ女性神イザナミが先に声を発した時に国産みがうまくいかなかったのか、ということです。というより「女性神イザナミが先に声を発した時に国産みがうまくいかなかった」というお話そのものが「岩戸閉め」であったのではないかと思ったのです。
日本は1万5000年から1万年もの長きにわたり縄文のおだやかで平和な暮らしを営んできたわけですが、その時の社会は「母系社会」であったというのが通説となっています。
ペンキ画家SHOGENさんがアフリカのブンジュ村の村長さんから教わったこととして「縄文の人は女性を象(かたど)った土器を作っていた」というお話がありましたが、縄文時代の社会においては女性が社会の中心であり、神さまとして尊ばれていたのではないかと思います。
縄文日本に限らず、超古代の人々が多く信仰していたのは大地の女神、地母神であり、女神信仰はもっとも原初的な信仰、自然な信仰心ではなかったのかと思うのです。
ですので『古事記』に挿話されている、この国産みのエピソードは「それまでの女系社会から男系社会に転換させるための岩戸閉めだったのではないか」と思いました。
そして「女人(おみな)が先に言うのは良くない」というエピソードを神話に入れることによって、女性が本来持っている神性を「岩戸閉め」することになったのではないでしょうか。
では、なぜ女性が持っている神性を封印しなければならなかったのか、ということですが、世界歴史の潮流として今後、日本列島にも及んでくるであろう男性優位社会、競争社会、戦争時代に対応するためであったのではないか、というのが私個人の見立てです。
もしも、ヤマト朝廷がたんに自分自身の支配体制を確立したいがために、女性が本来持っている神性を封印したかったのであれば、わざわざ『古事記』にこのような不思議なエピソードを挿入する必要もなく、秘密裏におこなえば良かったわけですから、そのようなことをせずに、エピソードとして残したということは、後世の人が、この時に「岩戸閉め」をおこなっているよ、ということに気づくことができるように予め組み込んでいたのではないかと思うのです。
いずれにせよ、歴史の「岩戸」は今まさに開かれつつあります。
私たち一人ひとりが自分自身の「岩戸」を開き、「神さま」としての記憶を思い出す時代が来た、ということです。
大調和の地球をともに創っていきたいです。
頓首謹言
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