歴史の「禊ぎ祓い」と白頭狸先生(白頭狸先生著『京都皇統と東京皇室の極秘関係』を読む7)
前回の続きとなります。
いわれなき「贋作」騒ぎに、白頭狸先生は一歩も退かずに応戦し、各個撃破していったのですが、「贋作」騒ぎそのものは展示会終了後、徐々に収束していきます。
このことからも報道の目的は、展示品の真贋を正すことにあるのではなく、「贋作」のレッテル貼りをすることであったことは明らかで、それが済んでしまえば、あとは野となれ山となれで、無責任にも撤退します。
なお白頭狸先生は、科学的鑑定も実施しておりまして、依頼先は岐阜県多治見市にあるP&Sセンター(河島達郎氏)、依頼品は「台湾製」「現代もの」と批判を受けた李朝壷、依頼内容は、熱ルミネサンス法による新古判定(年代測定)となります。
この分析結果は『ドキュメント真贋』の巻末に写真掲載されておりますが、李朝壷は「古作」であり、おおよそ300年前と判定されました。鑑定年が1993年なので、そこから逆算すると1690年代ころで李朝時代に合致する年代となります。すなわち科学的鑑定からも、贋作派の主張するような現代ものではないことが立証されたことになります。
しかし、なぜ今回このような人の真摯な思いを踏みにじるような悪辣な贋作騒動が起きたのか、業界、学者、大手メディアがスクラムを組んで「贋作」捏造キャンペーンを展開した動機、また、その中心勢力は何であったのか?
当時の白頭狸先生は、”一応”の答えとして、自分たちの縄張りを荒らされた業者と学者による古陶磁シンジケートが大手メディアと結託して仕掛けたものではないかと結論づけることとしました。
いま”一応”と括弧で括ったのは、果たして古陶磁シンジケートに大手メディア、それも一社だけでなく数社を動かすことができるほどの政治力が果たしてあるのか、というところに疑問符が付くからですが、白頭狸先生も全体を動かした中心を見究めようと考察しますが、そこから奥を考えるには材料が不足していますし、憶測の域を出ないので、あえて推断せずに一端保留することとなります。
ところが、思わぬところからその勢力の正体が明らかとなります。その思わぬところとは「京都皇統」のことであり、白頭狸先生が「京都皇統」より勢力の正体について伺ったのは岸和田一件から経過すること30年弱、平成23(2011年)の2月のこととなります。
白頭狸先生が「京都皇統代」より伺ったところによりますと、実は岸和田市の「東洋の官窯陶磁器展」の開催そのものが、すでに政府筋を動かして立てられた企画であり、そこで高名な陶磁学者に”贋作”と指摘させて、大手メディアを使って報道することで、「紀州古陶磁」を社会的に抹殺することが真の狙いであったとのことでした。
では、なぜ「紀州古陶磁」を社会的に抹殺する必要があったのかですが、その詳細は白頭狸先生著『國體忍者となったアヤタチとタカス族』に譲り、國體ファンドに絡む重要事項であったということのみに止めます。
ところがさらに奥があり、岸和田一件より遥か前から白頭狸先生の動向は「京都皇統」によって見守り続けられており、その観察は昭和53(1978年)より始まっていたとのことです。
こちらの詳細は白頭狸先生著『ワンワールドと明治日本』に著述されてありますが、「京都皇統」が白頭狸先生に秘かに期待されていたのは、記紀以来すなわち皇紀二千年来の歴史の真相を黒雲のごとく覆っていた偽史の「禊ぎ祓い」にあったとのことです。
当時は野村證券で日本初のM&A事業に全力投球されていた時期で、この先、歴史研究の道に進むとは当の白頭狸先生も預かり知らぬところであるのに、その先見の明に唖然といたしますが、目下、白頭狸先生がご指南中の四柱推命学も用いたものであったのかも知れません。
ともあれ岸和田一件をきっかけとして、その数年後に佐伯祐三絵画の真贋事件に携わられることとなり、そこで吉薗周蔵および「周蔵手記」との運命的な出会いを果たすこととなります。しかも驚くべきことに「紀州家古陶磁」の伝来に吉薗周蔵自身が深く関わっていたことを知ることとなります。
そして、このたび『京都皇統と東京皇室の極秘関係』で公表された「新文書」にも、「紀州家古陶磁」に関係する内容が記されており、新たな側面が明らかとなることとなります。
頓首謹言
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