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人類歴史の根本動力は「奉公精神」にあり~北海道利別村河島家のルーツを辿る(11)(白頭狸先生著『京都皇統と東京皇室の極秘関係』を読む番外)

前回、日本のみならず世界の歴史すなわち人類歴史の根本動力は「奉公精神」にあると述べました。

「奉公」の意味を『日本国語大辞典』で調べると以下のように解説してあります。


(1)おおやけに一身をささげて仕えること。天子、国家などのために力をつくすこと。
(2)武家社会で、家臣が主君のために働くこと。主君が与える所領安堵などの御恩に対して、家臣は軍役勤務を行なう。
(3)勤勉に任務を全うすること。功績のあること。忠義であること。
(4)他人の家に召し使われて勤めること。雇主の身分によって、武家奉公・町方奉公・在方奉公などの種類があり、また雇用期間により、譜代奉公・年季奉公・一季奉公・日雇奉公などの別があった。
(5)「ほうこうしゅう(奉公衆)」の略。
(太字は拾得)


「おおやけに一身をささげて仕えること」が「奉公」の第一概念であり、その他の解説は第一概念から派生した副次的概念であると言うことができます。

また(2)の解説は、歴史の教科書で学ぶ、いわゆる「御恩と奉公」の解説ですが、「奉公精神」はギブ・アンド・テイクではなく、時に自他の利害関係を超えて働きますので、この解説では不十分です。

「オオヤケ」の対概念は「ワタクシ」となるかと思いますが、現在の歴史学においては、人類歴史の根本動力は「ワタクシ」にあると考えるのが通例となっております。そのため古代の王権も「ワタクシ」より生じたものとして設定して解説しようとしておりますが、古代の王権は「オオヤケ」より生じたものであり、歴史認識の初期値において既にズレてしまっているため、カオス理論における「バタフライ・エフェクト」の如く、そこから展開される論が歴史の実像とはおよそかけ離れたフィクションとなってしまっております。

また目下、流行中の「ワタクシ第一主義」「ワタクシ・ファースト」を専らとする「個人主義」は、天地自然を貫く「奉公」の精神に抜け出ていないため、人を衝き動かす根本動力とはならず、やがて廃れゆくものと観じております。

(白頭狸先生のnorte記事より転載)

頓首謹言

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