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令和5年は「日本の再生」

令和5年、皇紀2683年がはじまりました。
年末から年始にかけてyoutubeで諸先生の動画を拝聴していたところ、異口同音に今年のテーマは「日本の再生」となることを述べておられました。

いま二、三例を挙げれば、馬淵睦夫先生は今年のテーマは「日本人の覚醒」であると言い、林千勝先生は「職を辞する覚悟を持った日本人が1万人いれば日本は変わる」と言い、西田昌司先生は現行の日本国憲法が日本人から「日本らしさ(国がら)」を奪ってしまった、と申しておられました。
その中で印象的であったのは、いずれの先生も「一君万民」「八紘為宇」を日本の国家理念として提示しておられたことです。
言うまでもなく、「一君万民」は日本の國體の根本であり、「八紘為宇」は肇國の祖・神武天皇の詔勅にある御言葉です。

戦後GHQが学校教育において禁止したものに、
・國史
・修身
・地理学(地政学)
の三つが挙げられます。
これらは日本国民が、日本人としての自覚を持つために欠くべからざる教育の背骨とも言うべき科目ですが、これらすべてが禁止されたことで、戦後日本人は文字通り”骨抜き”となりました。
かく言う私自身も戦後教育を受けた一人であり、”骨抜き”とされた一人であるわけですが、ここに至り、一部の日本国民が、どうやら戦後日本はまともではなかった、正気(しょうき)を失っていたことに気づきはじめています。

「正気」は「せいき」とも読み、「せいき」と読めば、かつて宋の忠臣・文天祥が詩にあらわし、幕末の国学者、水戸学の藤田東湖がその詩に倣って歌ったもので、意味を引けば「天地の間にあると考えられる、おおらかで正しい、公明な気力。また、人間の正しい意気・気風」となります。

日本は万古、「正気」の凝った國であり、ゆえに神州と申すわけですが、二千有余年、親から子へ、子から孫へと絶えることなく連綿と受け継がれて来た日本精神は、日本人の心根に脈々と波搏っており、その脈動は「日本再生」の澎湃たる機運を起こしつつあります。

この機運にあえて名を冠すれば「國體明徴」となるかと愚考します。
明徴とは「明らかな証拠。また証拠などに照らして明らかにすること」の意味ですが、何をもって明徴とするかと言えば、日本に生を受けた私どもが、日本人としての自覚を持つことによって明徴となります。
すなわち、二千有余年、万世一系の皇統を中心として、絶えることなく受け継いできた「正気」たる日本精神、日本人の公明正大なる意気・気風のその先端に、今まさしく私ども一人一人が存在しており、各々が「正気」を体現することをもって、國體が明らかであることの徵、「國體明徴」となります。

ここまでまとめて、毎月配信されている白頭狸先生の「洞察帝王学」を拝聴したところ、近未来もしくは現在進行中の世界事象についての中伝洞察を披瀝されており、新たな歴史サイクルにおける日本の世界的役割の大きさを改めて認識いたしました。

私めも浅見浅慮の身ながら「正気」たる日本精神を体する一人となるべく奮起して参る所存でございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

頓首謹言

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