[かなゑの四方山話3]箸の持ち方が綺麗なのは常識?
最近、家で1人でご飯を食べるときは、YouTubeかNetflixをお供にするのが定番になった。
好きなYouTuberの生配信がある時は、それを見ながらというのが1つの楽しみだ。
ある日、「一緒にご飯食べながら色々話そう!」という生配信を見ていた時、ふとその配信者の箸の持ち方と使い方が気になった。家族で運営されているチャンネルなので、子どもさんを含めて、そこに出演していた3人全員の箸の持ち方が、自分が「常識」と思っていたそれとは全く異なっていた。
それからは、そのチャンネルの生配信を見なくなってしまった。
「箸だけで?」と思う人もいるかもしれない。
それでも、わたしは「箸の持ち方が綺麗な人とご飯が食べたい」と思ってしまうし、常識だと思っていた事がそうでないと知った時、どうも受け入れるのに時間が掛かってしまうことが分かった。
自分の常識が覆る体験は、今までに何度も経験している。
卵焼きは家の味
今は「家庭の味」の存在を理解できているが、小学校までは「家庭の味=全国共通」だと思っていた。
小学校を転校したてで初めての調理実習の時、同じ班のクラスメイトが何の迷いもなく卵焼きの材料に「白だし」「しょうゆ」と書いたことは、当時のわたしにとって天地がひっくり返るほど衝撃的で、今でも覚えている。うちは、砂糖一択甘〜い卵焼きなのだ。「おいおい!なん作るつもりなんね!砂糖に決まっとるがや!」と心の中で叫びつつ、転校早々揉めたくもないしその場はスルーした。
言葉のキャッチボール
ガラケーからスマホへの過渡期だった高校時代。スマホを買ってもらった勝ち組は、何の用事もないのに隣に座っている友達へ、ピコピコ嬉しそうにLINEでメッセージを送り合っていた。
今や、LINEは生活に溶け込んで必要不可欠のツールとなっているが、LINEでの「既読無視」・「未読無視」は、投げられた言葉に対して何かしらの反応をすることが常識だと思っていた感覚が覆された経験だ。
社会の常識を知らない「非常識」なわたし
会社に入れば、研修があって、先輩が手取り足取り仕事や社会常識を教えてくれるものだと思っていた。
会食の時、お酌をする時はラベルを上にするだとか、乾杯のグラスは目上の方よりも低くするだとか、上座・下座、、、全く知らなかった。しかもわたしがマナー違反をしていても、誰も教えてくれなくて、社会人1年目はマナー本とか必死で読んだり、苦労した。陰で色々言われてたんだろうな。
社会の常識を知った。自分の考えが甘かったんだと思い知らされたしょっぱい思い出。
自分にとっての「常識」=「マイルール」
結局のところ、各々が自分の「常識」を持っていて、
時代が違えば
国が違えば
住んでいる地域が違えば
育った環境が違えば
関わる人が違えば
経験が違えば
「常識」なんてものは変幻自在に形を変えるのだと思う。
適応力が高い人、というのは「マイルールを所属するコミュニティの常識に合わせて変更するのが得意な人」なのかもしれない。
頑固な人、というのは「マイルールが凝り固まって形が変わりにくい人」なのかもしれない。
自分は、どうなんだろう。違う国に生まれていたら、箸の持ち方どころか手掴みで虫を食べていたかもしれない。そう考えると、自分の持ち合わせている常識なんてちっぽけなものに思えてくるけど、それが生きる上でとても大切なものだとも理解している。
適応力が高ければ良いわけでも、頑固なのが悪いわけでもなくて
マイルールの形が三角形だとして、丸にはできないけど四角にはできる、みたいなのが理想かなと思う。折れない芯が入っていることが大事なんだと思う。わたしのマイルールには入っているだろうか?
考えがまとまらないけど、今はここまでにしておく。
未来の自分に答え合わせをお願いしよう。
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