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自分の弱さと思う場所が、一番の長所かもしれない。
昔、ベストセラーだった「嫌われる勇気」という本にとても魅せられた。
内容もさることながら、なんといってもそのタイトルが、秀逸だと思った。
だって。
嫌われる勇気を持つことにずっと憧れていた。
「大切な人に嫌われたくない」ではない。
「できれば誰からも嫌われたくない」という気持ちがある。
例えば、職場や保護者として。
意見の違いがあったとき、自分の意見は言うけれど、
相手の気持ちに配慮して、相当遠回りな言い方をすることがある。
嫌われちゃうかもと思う自分は、人に見せにくい気持ちになる。
相手にとって、つい耳障りの良い言葉を選ぶことで、自分の本当の想いに素直になれないときもあった。
そうして少し無理してしまったり。
そんな自分に
誰からも好かれる人なんていない。
人間には合う、合わないがあるんだから。
みんなに嫌われないなんて無理
と言い聞かせてもいた。
腹の底から「みんなに嫌われないなんて無理だから」と言える人が、カッコいいと思ったりした。
でも誰しもの心の中に「嫌われたくない気持ち」って少しはあるのかもしれない。
カッコよく見える憧れのあの人の中にもあるのかもしれない。
嫌われたくないって思うからこそ、誰にでも配慮したいと思う。
人当たりよく話そうと思って、成長してきたこともある。
実は物事は表裏一体。嫌われたくない気持ちがあるからこそ、出来てきたことがある。
短所は長所。長所は短所。
大事なのは「嫌われたくないから、我慢する」にならないこと。
嫌われたくないを理由に自分を押し殺さず、
自分を大切にしてあげること。
自分を大切に出来てさえいれば、本当は嫌われる勇気ってなくてもいいものなのかもしれない。
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子どもが不登校になって、気持ちが落ち込んだ時期を経て、
楽になり、前を向いて動けるようになったころ。
いつの間にか、心のどこかに
「それを乗り越えられた自分は強くなった」って自信を持っていた。
確かに頑張った。
でも、自分にそう言い聞かせながら、人にどう見られるのかを気にして、
時間と共にその痛みをどこかで忘れようとしている自分がいた。
忘れてもいいのかもしれない。
でも、今まさに目の前の育児に向き合い、一生懸命に頑張っていて、少し孤独を感じてるお母さんに寄り添いたいなら。
その時の想い。
頑張っても頑張ってもどうにもならない気持ち。
心が疲れ切ってるのに、日常の繰り返されることに追われている状況。
自分でも変わりたいと思うのに、どうしたらいいのかわからない焦り。
そんな痛みはちゃんと手当をする事で、心から「私にはあなたの今の気持ちよくわかるよ」って伝えられるのかもしれない。
痛みであった経験を愛情にできるとしたら、そういうことなのかもしれないと思う。
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